事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

グリーンハウス再建計画 ページ5 スターリングラード

2007-09-09 | 映画

P_enemyatthegates 宮崎合名社、10月中旬で映画興行から撤退

 山形市の中心商店街・七日町で4映画館を持つ宮崎合名社(山形市、宮崎亙社長)が10月中旬で映画興行事業から撤退する。近郊の複合映画館(シネマコンプレックス)などに観客を奪われ、中心街での映画興行が採算に合わなくなったことが理由。山形初の映画館としてオープンした「シネマ旭」は常設館としての87年の歴史に幕を下ろすが、七日町から映画の灯が消える事態を回避するため地元経済界の有志が興行会社を新たに設立、宮崎合名社から事業の一部を引き継ぐ。

 10月中旬で興行を打ち切るのは1917年に開館した「シネマ旭1、2」(客席数832)と90年開館の「ミューズ1、2」(同199)。同社は最盛期には山形県の主要都市と秋田市の中心街で22館の「宮崎シネマチェーン」を展開、七日町に9館あった映画館もすべて同社の経営だった。ここ数年は県内や仙台市で相次ぎ誕生するシネコンに客足を奪われていた。

日本経済新聞2004/9/24Rachel_weisz_04

ページ4からの続き) この結果、県下最大の書店グループ八文字屋(どら息子がレーサーやってます。店員たちは、そんな金があるんなら給料上げろ!と泣いてるぞ五十嵐勇大)と山形ケーブルテレビが、共同でムービーオンという会社を立ち上げて宮崎合名社の映画館を継承している。
 だから今、県都の興行界はフォーラムグループムービーオンが激突している構図になっているわけ。

 宮崎合名社といえば、毎週金曜日に山形放送にラジオCMをぶちこむのが恒例で、そんなわずかな映画情報にも胸ときめかせて耳を傾けていた時期もあったっけ。
 高校の同級生には酒田シネマ旭の支配人の息子がいて、よくそいつから招待券をお安く仕入れてもいたのだった。同様にグリーンハウスの経営母体だった酒造「初孫」の一族からはグリーンの株主優待券、創価学会の信者からは「人間革命」や「八甲田山」のチケットを買っていた。金券ショップ高校生(T_T)。

 さて、地方の中心街の地盤沈下はどこも共通の課題。買い物客の移動手段は自家用車が主流なため、郊外型の大規模店に客が奪われてしまっているからだ。もちろんこれは酒田でも同じ事情で、中心である中町は空き店舗が目立つ状態になっている。あなたの町も同じようなものじゃないですか?郊外のバイパス沿いには「洋服の青山」だの「ヤマダ電機」だの、薄利多売がウリの量販店が金太郎飴のように並んでいるでしょう。映画館の観客も同様で、広い駐車場があるシネコンへ流れる状況はいかんともしがたい……ように見える。宮崎合名社がギブアップしたように、地方は“最初にシネコン化した映画館しか生き残れない”のだろうか。(ページ6に続く

Rachelweiszsiadrienbrodyaufilmatinromani  画像は酒田シネマ旭で観た「スターリングラード」
フルシチョフ役のボブ・ホスキンスがあまりにもそっくりさんで笑えた。で、レイチェル・ワイズ。彼女はいつも景気よく脱いでくれるのでけっこうだが、みんなこの映画の“あのシーン”におけるお尻の印象が強くてその話ばっかりなのである。狙撃手のお話なのに、お尻で記憶。それもまた映画(^o^)

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グリーンハウス再建計画 ページ4 ある愛の詩

2007-09-09 | 映画

Lovestory02ページ3からの続き)ここ数年、映画人口の減少にともなって閉館する映画館は多いのに、スクリーン数はむしろ増加してきた。これはもちろんシネマコンプレックスの台頭によるもの。映画ファンであるわたしにとっても信じられないことだが、映画界はいつのまにか成長産業に転じていたのだ。

 これには本当にびっくり。わたしが生まれた1960年頃をピークに、テレビに押されて斜陽の代表と言われ続けていた映画産業が……。
わたしがのめり込み始めた70年代は、何を封切っても当たらず、大映は倒産、松竹は寅さんのみ、東映は実録路線がどんづまり、東宝はほとんど自社製作を放棄、日活のロマンポルノも先が見え、それまではブロック・ブッキングという旧態な興行を続けていたせいでかろうじて邦画が洋画を上回っていたのに(若い人には信用してもらえないかも)邦洋逆転し、敵対視していた新規参入組である角川やテレビ局製作の映画に頼っていたというのになあ。

 プラスに転じた要因のすべてがシネコンだと断ずるわけにはいかないが、ん?いや、やっぱり100%シネコンのおかげだ。それは……

 衰退する業界はみなそうなのかもしれないが、映画界も黄金時代を忘れられず、旧態なまま革新を怠ってきた。“何もしなくても客は向こうから押し寄せてくる”栄光にいつまでもすがり、製作側も興行サイドも、観客を無視し続けてきたのだ。

 高校を卒業して東京に出たとき、同じ中学出身のヤツと、「ここまで来れば堂々と成人映画が観れるぜ」とばかりに上野の日活ロマンポルノ上映館へ。するとモギリでなぜかクジを引かされ
「おめでとうございます!当選です!」
「???」
「こちらのペンダントが当たりましたっ!」
「はあ……」
「申し訳ないんですけど、こっちのチェーンの方は実費を出していただくということで」
ふざけんな!である。いくら純朴な田舎者とはいえ、こんな詐欺商法に引っかかってたまるか。例えが極端なようだが、こんな商売がまかり通っていたのだ。そりゃ、先細りだよな。

 映画館が“小屋”と呼ばれたりすることからも知れるように、この業界は古くからの因習が幅をきかせ、組織暴力とのつきあいや、配給会社と小屋側の取り分のあいまいな取り決めなど、ダークな部分が大きかった。つまり、ビジネスとして未成熟なままだったのである。

 観客の責任も大きい。“ションベンくさい場末の名画座にこそ映画を観る醍醐味が”なんて誤った懐古趣味が、どれだけこの業界を甘やかしてきたか。

 これらすべての弱点をひっくり返す黒船がシネマコンプレックスだったわけだ。当初はワーナーマイカルやUCIといった外資系が多かったが、近年は東宝がヴァージンを吸収するなど、国内勢が巻き返している。逆に言うと、昔からの興行会社が大資本に蹂躙され続けている、とも。だからフォーラムの方法論(既存館の補修中心)が、「シネコンの進出阻止なのでは?」という不良主婦の読みはおそらく当たっている。    【ページ5に続きます

 画像はグリーンハウスのドアが閉められないほどの大ヒットだった「ある愛の詩」角川のメディア・ミックスの嚆矢。どえらいブームだったのに、もう誰も語らなくなっているのはなぜなんだろう。今観たら、やっぱり泣けるのかな。
  

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