(ページ8はこちら)グリーンハウスという映画館について、もう一度ふれてみる。この、東北一とうたわれた洋画ロードショー館には、酒田市民は愛憎相半ばする思いを抱いている。
気が重い話からいこう。グリーンハウスが憎まれているのは、戦後四番目の焼失面積となった昭和51年の酒田大火の火元だったからだ。「愛のコリーダ」でも特集したように、おそらくは電気系統のトラブルで(公式には不審火ということになっている)出火し、酒田名物の強風もあいまってその火は街の中心部のほとんどを焼きつくした。その後の都市計画の失敗や、住民が大挙して移転した(多くは最上川河南地区に向かった)こともあって中心街の空洞化が一気に進む結果となったのである。
出火時に館内で消防署員がひとり亡くなっていることもあり、自戒の意味もあったか、その後グリーンハウスが再建されることはなかった。
では逆になぜ愛されたか。昭和38年10月の週刊朝日に特集されている。
《港町の“世界一デラックス”映画館 山形県酒田市に実を結んだひとつの実験》
という見出し。
内容は……
ほかの映画館の料金は190円だが、グリーンハウスは1階270円、2階指定席が300円。昭和34年の改装で、550の座席を、1階を300席、2階は40席の指定席と喫煙席。さらに5人用の洋風特別席、じゅうたんに座布団敷きの4人用の和風特別席にした。特別席には姿見、茶道具、テレビ、電気スタンドを備え付けた。
【須藤良弘 酒田の戦中戦後史 酒田の映画館繁盛記より】
……すごいものである。喫煙席は確かに大人の世界を感じさせた。他にも、映写幕が開くときに流れるムーンライトセレナーデ、喫茶店が内部にあったのでただよう珈琲の香り、そして日本一小さなミニシアター「シネサロン」も併設されていたのだ。今考えても夢のような映画館である。
加えて、番組の編成にセンスがあった。都会よりも封切りが遅れることの多かった当時、なるべく早く封切ろうという意気込みは子どもだったわたしにも伝わったし、作品も良質のものが多かった。焼失したときにかかっていた作品が「愛のコリーダ」だったあたり、グリーンハウスの勲章でもあるだろう。要するに興行主が有能かつセンスがあったということだ。佐藤久一というその男は、酒田が全国に誇るフレンチレストラン「ル・ポットフー」にも関係した人だったようだ。一度、会ってみたかったなあ。
【ページ10につづく】
画像は、グリーンハウスで観た映画「コンドル」。
シドニー・ポラックの作品のなかでは「追憶」よりも上だと思う。フェイ・ダナウェイをもっとも美しく描いた作品かもしれない。ストーリーは、CIAの“読書係”であるロバート・レッドフォードが、偶然ある現実の陰謀をレポートしてしまい……実は、ジョン・グリシャムの作品にも同じ内容のものがあり、グリシャムは敬意を表してその作品の中に「コンドル」を登場させているのだ。