虚心に言って、テレビでもっとも成功した芸能人といえばこの人だろう。視聴率50%をコンスタントにたたき出すことがどれだけの偉業か。そして、どれだけの苦行だったか。
……芸談、とよばれるジャンルがわたしは大好き。経営者の苦労話についてまわる臭みが、芸人の場合にはみごとに無いこともその一因。最高傑作は結城昌治の「志ん生一代」や小林信彦の「日本の喜劇人」だろう。森繁久弥の自伝も、古川ロッパの日記も見事だった。「最初はグー、いかりや長介アタマはパー、正義は勝つ、ジャンケンポン!」とか子どもにひどい言われようのいかりやの著作「だめだこりゃ」もまた、全然だめじゃない。クレイジーキャッツとは違い、音楽的な才能もギャグの才もなかった集団が、なにゆえにテレビで勝ち残れたかの秘密までは読みとれないが、不仲説が絶えず、スキャンダルも多かったドリフターズが、それでも現役感が健在であることの不思議は、“権力者”いかりやと“被虐待者”のメンバーたちという図式のおかげであることがこの本で理解できる。実際、暴君でもあったのだろう。
それでもいかりやが真にリスペクトされ始めたのが「踊る大捜査線」の和久さん役まで待たなければならなかったのは、日本ではサイト(視覚)・ギャグの地位がまだまだ低く、そして冷たい言い方になるが、ドリフの芸がやはり子供だましに近いものだったこともある。実際、ドリフで笑ったことってめったになかったし。でも、毎週一時間の公開生放送を16年間も続ける上では、練り上げられた芸など邪魔でしかなかったのだろうとも思う。
この本の白眉は、ビートルズの武道館公演の前座を終え、ステージを駆け下りてビートルズとすれ違うシーン。
「お互い、目も合わさない、会釈もしない、向こうはこっちが誰かなんて知ってもいないだろう。右側を歩いていたビートルズの誰かの楽器と私の楽器がぶつかった。『ゴーン』と大きな音がしたが、先方はそのまま振り向きもせずに行ってしまった。背後からまた大歓声がきこえた。」
そしてもうひとつ。フジテレビの廊下でビートたけしとすれ違う場面。裏番組「オレたちひょうきん族」が「8時だヨ!全員集合」の視聴率を抜いた頃。
「彼は照れ臭そうにうつむきかげんのまま、『手ェ抜いて適当にやってますから』と言った。私に気をつかっての言葉だったのかどうか。私が返事をする前に、彼の姿は消えていた。」
見事な、王者交代の一瞬。これだから芸談はやめられないのだ。