殺しの依頼を受けたケラーは空港に降り立った。迎えの男が用意していたのは車とピストル、そして標的の家族写真だった。いつものように街のモーテルに部屋をとり相手の動向を探る。しかし、なにか気に入らない。いやな予感をおぼえながらも"仕事"を終えた翌朝、ケラーは奇妙な殺人事件に遭遇する…。
ローレンス・ブロックはわたしの期待の星だ。P.D.ジェイムズを完読してしまい、ロス・トーマスはすでに亡く、ドン・ウィンズロウがめったに出ない現状を考えると、お気に入りの作家の中で、死ぬまでに読み切れないほどの著作があるのは彼だけ。
ブロックには、著名なシリーズだけでも三つある。(元)アル中探偵マット・スカダーもの、軽妙きわまりない泥棒バーニイ・ローデンバーもの。そして殺し屋ジョン・ケラーの一連の作品。マット・スカダーについては傑作ぞろいなのでいずれ特集するとして、今回はこの寡黙な殺し屋を。
このシリーズ、気の利いた短篇としてPLAYBOYをはじめとした雑誌に掲載されることが多い。でも「殺しのリスト」は珍しく長篇。ところがその一部はすでに独立した短篇として発表されたりしている。つまり、長篇としての体裁(商売敵としてのもう一人の殺し屋とのバトル)はとるものの、内容はエピソード集に近い。
ケラー(もちろんKillerのもじり)の性格はひたすら変わっている。というか、彼の内面はまったく語られないのだが、内に秘めた復讐の念とか熱情のために殺し屋をやっているわけでもなく、ましてや組織に対する忠誠などカケラもない。ただ単に“職業としてたまたま”殺し屋をやっている感じ。
だいたいこの組織、ほとんど家内制手工業の世界(笑)で、先代の元締めがボケてしまったものだから秘書だったドット(ミュージカル「ライオン・キング」をブロードウェイに観に行ったりするおばさんである)とケラーがしょうがなくあとを継いでいる。ま、代替わりはこの業界らしく先代はケラーに“始末”されているのだが。
たまたまやっている殺し屋だから別に金にたいする執着があるわけでもなく、報酬でとりあえず切手の収集なんかやっている。この切手趣味にしても「何か趣味を持っていた方がいいかも」程度のこと。語られない内面のなかで、しかし殺人者であることのストレスを雲散させるために、ケラーは生活者としてさまざまな試行錯誤を行っている。このあたりが読ませどころかな。デューク東郷みたいなマシーンにはなりきれない殺し屋。
殺人方法や凶器はなりゆきまかせ。臨機応変。そしてその方が安全だと職業人としてのケラーの“勘”が教えている。殺人の場面が具体的に描かれることは稀だけれど、うっすらと読者にわかるように書いてあって、このへんはブロックの名人芸だ。
そしてこのシリーズの最大の売りは、依頼を仲介するドットとケラーの会話。
「表面的な関係なんだよ」とケラーは説明した。
「ケラー、ほかにどんな関係があるの?」 「つまり」と彼は言った。「そういうつき合いが彼女の望みでね。都合がつけば、週に一度会って、ベッドへ行くだけの仲だ」 「その前にとりあえず食事くらいはするんでしょ?」 「食事に誘うのはもうあきらめた。彼女は体が小さくてね。ものをあまり食べないんだ。もしかしたら、彼女にとっては食べることだけがただひたすらプライヴェートなことなのかもしれない」 「セックスもそういうものだって思ってる人がどれほど大勢いるか知ったら、あなた、きっと驚くと思う」とドットは言った。
……若い頃のタモリか田村正和(えらい違い)と、もっと年とった桃井かおりの会話だと思っていただければ(笑)。アダルトマガジンのユーモアの粋を集めた感じ。まるでコント集。これが延々と続くのだ。わたし好みである。ああ早く次回作が出ないかな。そしてその期待をアッサリとかなえてくれそうなところが、多作家ローレンス・ブロックが、わたしの期待の星である所以なのだ。
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