事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

事務室。

2008-01-08 | 情宣「さかた」裏版

Wi0017 ミステリばっかり続いたので今度はクミアイ情宣シリーズ。
今回は事務室について……と見えながら事務職員という職を他の職種に思いきりアピールさせてもらいました(笑)。
発行は2002年10月9日。

正直、事務室なんていらないと思っていた。スペースの小ささに不満をいだきながらも、文字どおり“スタッフルーム”である職員室に事務職員のデスクがあるのは自然なことじゃないか、と感じていたのだ。他の職員との意志疎通においても、ほとんど一人しかいない事務職員が事務室にこもることになれば、孤立してしまう危険性があるとも。特にわたしはいろいろ性格に問題あるし。

 それが一転してゴリゴリの事務室推進派に変わり、改築する学校への設置のために動くようになったのは、ほかでもない、教育研究集会をはじめとした組合の研究によって“覚醒”したのだ。
   
 こと事務職員に関するかぎり、官製の研修体制はおそまつの一言につきた。中堅事務職員研修の時など、教育センターのロビーで正直に「んーちょっと申し訳ない」ともらす県教委の職員もいたぐらい。でもこれはある意味しかたがない話。標準職務すら確立していない現状では、事務職員の仕事は校務分掌によってしか規定されない。そのために学校によって仕事の様相が全然ちがっていて、一律の研修などやりようがない。

 その結果、事務職員は自分の仕事を自分たちで研究するしかなかった。OJT(on-the-job training)と言えばきこえはいいが、内実は組合や教育研究会の研修に頼るしかなかったのである。

 でも、これはある意味ラッキーだった面も。研修を組合でやる分には、とにかくみんな言いたい放題。本音さらしまくり。おかげでめちゃめちゃに勉強になった。

 そんな中で出てきたのが事務室の問題。
 この課題が県下同時多発的にとりあげられたのにはわけがある。他の職種の人たちも、領収印を押す旅費請求書が7月からちょっと変わっているのに気づいていると思う。これは県の財務システムの端末が小中学校に(全校ではないのがつらいところ)設置され、端末から出力されたものが請求書として機能するようになったから。で、今度は給与と福利厚生の入力もその端末を使うようになる。この端末に加え、市町村会計の端末も設置されているところが多く(この二つは絶対にいっしょにならない)、物理的に事務スペースの拡充が急務だったのだ。

 この端末にはそれぞれの職員の婚姻・扶養の状況、年末調整の季節ともなれば所得のあれこれが入力されることになり、ディスプレイにはそんな情報が無機的に映しだされてゆく。端末が設置されていない学校は、設置されている学校へわざわざ訪れて入力するわけだから、行く方も迎え入れる方もそのプライバシー保護にはかなり気を使う場面が続出する。事務室が必要だという理由が、ひとつわかっていただけるだろうか。

 それに、支部教研の強みは、高校や聾学校の職員、そして市民とともに研修することで、課題に対する別の視点を獲得できること。
 事務室に関して言えば、分科会で高校の事務職員が二人、隣で小声でつぶやいていたことばが以後のわたしの態度を決定づけた。
「(小中学校って)事務室ねぐで、どうやて事務してんなんけ?」
あ。事務室がある状況の人間から見ると、そうなっちゃうかー。考え直すかやっぱり、と。

3010129084  歴史的にみれば、それぞれの小中学校に事務職員が配置されたのは近年のことにすぎない。それまでは、教員のなかに事務担当がいたり、教頭が行っていることが多かった。つまり、小中学校では事務が職員室で行われることが必然だったのである。

 しかしもう学校事務はそんなレベルにはないし、それぞれの職種がそれぞれに多様なはたらきをしていくことが学校には求められている。職員室ですべてが完結する時代ではないのだということを、そして学校が多様な形で開かれていかなければならないことを、わたしは支部教研で学んだのだ。そのわりに、思いっきり不良事務職員であることはもうしわけないのだが。

※職員のプライバシーだけでなく、児童生徒の情報管理のためにも事務室は必要だと考えられている。集金や就学援助費の事務を行うときに、いちいちまわりを見渡してから行っているのが現状なのだ。支部教研では毎年酒田一中の掲示等を見るのが楽しみの一つだが(すごく参考になる)、事務室もうらやましく思っていたのだった。

※ぶっちゃけた話をすれば、10年前(当時)に出た旧文部省の小中学校施設整備指針には、基本設計のなかに事務室の項がすでにもうけられている。
だからこれから設計される小中学校に事務室がないとすれば、それはわざわざ(事務室を)けずった、ということになるわけだ。

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愚か者死すべし その2

2008-01-08 | ミステリ

Ryohara1

その1はこちら

 ジャズ・ピアニストだった原は、故郷の佐賀に帰って、手慰みにミステリを書き始める。完成した処女作があの「そして夜は甦る」。2作目の「私が殺した少女」で直木賞ゲット。順調そのもの。なのに長編三作、短編集とエッセイ集をそれぞれ一冊出したっきり、なぜか長い沈黙に入る。

友人の市会議員選挙を手伝っていたり、地元のクラブで演奏したりしていたらしいが、それにしたって9年は長い。あとがきで「量産するスキルを獲得したので新シリーズはもっと早くお届けできると……」なーんて書いているが、わたしは信用していない。だって朝日新聞にほんのわずかな期間連載した「日記から」にしても、訂正に次ぐ訂正で朝日を辟易させたほどの執念深さ。この根性がそんなに簡単に変わるものか。下手をするともっと長き眠りに入ってしまうんじゃないのか。

 直木賞の選考会で田辺聖子は、「私が殺した少女」を「探偵が頭が良すぎる」と評した。これはミステリを読みつけていない人には仕方のない感想だろうか。大きな謎をまず設定し、探偵を読者の半歩先を歩ませて謎の薄皮を剥いでいく過程こそ“探偵小説” の醍醐味なのに。まあ、それにしたって沢崎は確かに頭良すぎる。でも、こんな独白が似合う探偵は、頭よくなくっちゃあ。

私はメモ用紙を拾って、四日ぶりに事務所の中に入った。
ガンの偽特効薬を売りつける悪質な詐欺グループを探りだすために、ある大学病院のガン病棟の入院患者になりすますのが仕事だった。首尾よく犯人たちは逮捕されたが、そのとき私の頭をかすめたのは、彼らの釣り糸の先にぶらさがっていた法外な値段の擬似餌は、患者によっては一縷の希望になっていたかもしれないということだった。
病院が人間の命にできることはあまりないが、もっとも手際がいいのはそれに値札をつけることだ。値札がつけば、保険屋もあらわれるし、詐欺師もあらわれる。いずれ探偵もあらわれる。それだけのことだった。

Ryohara2 ……やっぱりいないって(笑)、日本にこんな探偵は。

※2008年現在、やはり、というか沢崎モノの新作は長き眠りのなかにいる。田辺聖子は、ミステリがわからない人なのかと思ったら、「半落ち」では林真理子のお馬鹿さとは対極の冷静な意見を。

※映画化するなら沢崎は役所広司あたりか。でもわたしは、“40才になった木村拓哉”にお願いしたいと考えている。マジで。

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