撮られなかった映画のことを考えてみる。この本は、映画評論家の山根貞男が深作欣二を長時間拘束して自作を語らせたもので、深作の水戸弁が炸裂している。不遇の時代から「仁義なき戦い」を経て、大作路線を走りきった彼の作品歴は確かに興味深いが、しかしその裏面に、数多くの幻の企画があって、これがどう考えても実現した企画よりも面白そうなのだ。
まずは「仁義なき戦い/完結篇」に、ショーケンと松田優作を出演させる案がつぶれている。「考えてみたら惜しいことをした。彼らが出ていたら歴史に残ったろうに」と深作自身が後悔しているが、つぶれた背景には東映京都撮影所の保守性があったろう。その後深作は「傷だらけの天使」(日テレ)で萩原健一と水谷豊を使い、その才能にたまげている。
京都撮影所の保守性は、片岡知恵蔵などを頂点にした強烈な村社会を形作った歴史に代表されているが、今回初めて知ったのだけど、黒澤明が「トラ・トラ・トラ!」を降板(解任され、代理として舛田利雄と深作が日本サイドを演出)したのはこの保守性によるものがあったらしい。夜、突然セットの窓ガラスを木刀で叩き割る黒澤の無念は鬼気迫る。
深作にしても「敦煌」の映画化を最初にオファーされ、主演は真田広之と千葉真一で決定していたらしい。佐藤浩市と西田敏行バージョンより面白そうじゃん!
他にも、山田風太郎の明治ものや「実録・共産党」、この書ではふれられていないが「浪人街」など、実現していたら傑作になること間違いなしの企画が次々につぶれている。70~80年代の日本映画の衰退期が彼の全盛期だったことの不幸だろうが、しかしフィルモグラフィーを見れば、これだけの本数を撮ることができただけでも深作は幸せな作家だったといえるかもしれない。あ、それから松坂慶子と荻野目慶子との関係については、うっすらとしか語っておりません。ちょっと残念(笑)。
ちなみに、My深作ベスト3は
「仁義なき戦い/広島死闘篇」
「資金源強奪」
「バトル・ロワイヤル」ざんす。