事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

おんな城主直虎 第46回 悪女について

2017-11-19 | 大河ドラマ

第45回「魔王のいけにえ」はこちら

前回の視聴率は10.7%と超低空飛行。イッテQ!(日テレ)とスポーツ大将(テレ朝)に食われた……という総括でもないような気がする。この時期に視聴率が下がるのは、やっぱりきつい。

脚本に問題があるんだろうか。森下佳子さん自身が「ほぼ日刊イトイ新聞」でこう語っているし。

「映画は監督のもの、ドラマは脚本家のもの」

というような考え方があって。むかしから言われてるんですけど、映画は、だいたい1時間半とか2時間で、それを撮っていくときは、まあ、少なくとも、脚本がない状態で撮りはじめるということは、基本、ないわけですよ。

つまり、映画には完成した台本があって、最後まで見通せる状態で監督は撮れるんです。だから、責任持って大胆なアレンジが可能なので、監督のものと言われる。だけど、連ドラの場合は、スケジュール上、10話なり13話なりの脚本が撮影前にできあがってるということが少ない。

だから、演出家の方が、想像をたくましくして自分の思う方向へ撮っていくと、あとがつながらなくなる可能性もある。だから、まぁ、どうしても大胆なことができないわけです。じゃあ、誰が責任を持つのか、って言ったときに、それは脚本家なり、プロデューサーなり、というふうになる。たぶん、その違いかなと。

……だから、往時は山田太一倉本聰、そして向田邦子の名がフューチャーされたけれども、演出家は映画に進出するしか(「紅い花」「四季・ユートピアノ」の佐々木昭一郎のような例外はあるにしろ)名をあげる機会はなかったと。異論バリバリでしょうけれども。

今回は勘所の回。これまで森下さんが慎重に伏線を仕込んでいたのを刈り込む回だ。残虐な信長に唯々諾々としたがう家康という構図をひっくり返すために、どれだけのことが行われたかという好例。

「悪女について」というタイトルなのだから当然のこととして築山殿(菜々緒)が悪女ではなかったという造りになっている。

この脚本家は、やはり有能だということを知らしめた回。誰もが、登場しなかったキャラを頭に描いて泣かせられる。しかも、この大騒動が直虎と万千代が直列につながる契機となる仕掛け。おみごとです。久しぶりによかったなあ。視聴率?これで下がるようなら大河ファンはなにやってんだってことですかね。今度こそ12%台復帰と読みました。

第47回「決戦は高天神」につづく

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「野良猫を尊敬した日」 穂村弘著 講談社

2017-11-19 | 本と雑誌

「たましいのふたりごとアゲイン」はこちら

・インターネット接続をするのが面倒で、何年もネットカフェに通ってしまう。

・正味なところ、自分に自信がもてないのに、自意識過剰なのでできるふりをしてしまう。

・天職に就いている、という人をうらやましがりながら、しかし天職がわからない自分を弁護してしまう。

・チャットモンチーのことを『自分の時代』の少年ナイフだと結論づけてしまう。

……わかるー。ものすごくわかる。それでこそ穂村だ(笑)。自分の小ささをさらけ出しながら、小さな声で「で?」と読者にお伺いをたてる。なんてみごとな芸なんだ。

 

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