PART1はこちら。
「パン屋になったきっかけはね。実は音楽をやってまして、その金を稼ぐためのバイトだったんです。」と大岡氏。
「音楽?」
「R&Bとか、ゴスペルとかを歌ってまして」
ええええっ、とみんなのけぞる。前日に鶴岡入りした彼らは、日本酒をたいそういっしょにいただいたそうだし、まちキネでも延々と話していた。でもこれは初耳だったようだ。
内田監督も
「映画を友人が撮ってまして、その手伝いで現場に行ったんですよ。単純に雑用係として。ところが、だんだん立場が逆になって、彼が雑用を引き受けてくれて(笑)」
その点、老舗であるペリカンの四代目はもっともストレートだ。
「誰も継ぐ人間がいなくなって、学生だったぼくも、別にやりたいことがあったわけじゃないから、じゃあパン屋やろうかなと」
その、パン屋稼業はしかしかなり厳しいものだったようだ。
「職人って、教えるの苦手な人が多いじゃないですか。だから心を折るようなことも平気で言うし。んもう毎日、今日こそ死んでやるって思ってました」と大岡氏。
「ペリカンはそんなことないですけど、手が出るって話はよく聞きますよね」
四代目はそう言うけれど、わたしはもしも質問するとすれば「名木さん(例の佐藤二朗ね)って、実は怖いんでしょう?」と訊こうと思ったぐらいだ。パン屋とは徹底的にガテン系の世界のようだ。その証拠に四代目はばらす。
「パン屋って、よく腕にリストカットみたいな痕があるんですよ。火傷なんですよね」
「あー、火傷はねー」
職業病ですか。以下次号。