事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

パン屋再襲撃 トークイベントPART2

2017-11-25 | 食・レシピ

PART1はこちら

「パン屋になったきっかけはね。実は音楽をやってまして、その金を稼ぐためのバイトだったんです。」と大岡氏。

「音楽?」

「R&Bとか、ゴスペルとかを歌ってまして」

ええええっ、とみんなのけぞる。前日に鶴岡入りした彼らは、日本酒をたいそういっしょにいただいたそうだし、まちキネでも延々と話していた。でもこれは初耳だったようだ。

内田監督も

「映画を友人が撮ってまして、その手伝いで現場に行ったんですよ。単純に雑用係として。ところが、だんだん立場が逆になって、彼が雑用を引き受けてくれて(笑)」

その点、老舗であるペリカンの四代目はもっともストレートだ。

「誰も継ぐ人間がいなくなって、学生だったぼくも、別にやりたいことがあったわけじゃないから、じゃあパン屋やろうかなと」

その、パン屋稼業はしかしかなり厳しいものだったようだ。

「職人って、教えるの苦手な人が多いじゃないですか。だから心を折るようなことも平気で言うし。んもう毎日、今日こそ死んでやるって思ってました」と大岡氏。

「ペリカンはそんなことないですけど、手が出るって話はよく聞きますよね」

四代目はそう言うけれど、わたしはもしも質問するとすれば「名木さん(例の佐藤二朗ね)って、実は怖いんでしょう?」と訊こうと思ったぐらいだ。パン屋とは徹底的にガテン系の世界のようだ。その証拠に四代目はばらす。

「パン屋って、よく腕にリストカットみたいな痕があるんですよ。火傷なんですよね」

「あー、火傷はねー」

職業病ですか。以下次号

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パン屋襲撃 トークイベントPART1

2017-11-25 | 食・レシピ

前号でお伝えしたように、トークショーに参加したのは

・「74歳の~」監督の内田俊太郎氏(ルックスは完全に加瀬亮)

・ペリカンの四代目、渡辺陸氏(若い!)

・まちキネに隣接するベーカリーショップ、地ぱんgoodの店長、大岡俊志氏

コーディネイターは映画の製作者である石原弘之氏。

食の町である鶴岡の、食の映画祭の一環なので、パンを中心としたトーク。観客はキネマ3の座席満杯な80名。実は81名いたらしいんだけどそれはおいといて。

まず、同じパン屋と言っても、ペリカンと地ぱんgoodはその性格が正反対だという話になる。ペリカンは食パンとロールパンしかつくらず、その味を守り続けることで有名。しかし地ぱんgoodはまだ三年目の若い店。次から次へと新メニューをつくりだしている。

わたしと妻は、ここの塩パンの大ファン。大岡さんが店長になったのには事情があり、オーナーは山形県では知らぬ人がいないシェフ、奥田政行氏。渋谷の三ツ星レストランで働いていた大岡さんを、その奥田氏がスカウトしたのだとか。

「でもわたし、奥田さんを知らなくて、Wikipediaで検索しました(笑)」

鶴岡にやってきて呆然。

「1月……2月だったかな?誰も道を歩いてなくて。なにしろ渋谷から来たもんだからびっくりしましたよ。やっていけるかなーって」

「あ、わたしもびっくりしました。人がいないなあ、って」と四代目。

そうなのだ。田舎の人間はクルマでしか移動しないということが都会人にはなかなか。

中野で生まれ育ち、浅草に通勤する四代目は、祖父である二代目が亡くなり、三代目をおじさんが継いだことで“なんとなく”パン屋になったとか。

「おれもそうです。なんとなく」と大岡さん。

「あ、わたしもなんとなく映画監督になりました」と内田氏(笑)。

これこれこういうパン屋や映画監督になりたいという強い意志があると、もしも理想と違ったときにあっさり辞めちゃうってことかも。PART2につづく

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