Elton John - Sorry Seems To Be The Hardest Word (Greatest Hits 1970-2002 17/34)
平日の朝イチということもあるけれど、鶴岡まちなかキネマは年配の客が多かった。それはそうだろうと思う。エルトン・ジョンをリアルタイムで聴いていたのって、50年代から60年代に生まれたわたしたちの世代が中心……いや、そうでもないのか。なにかのまちがいで(そうとしか思えない)「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」が大ヒットしたのはついこの間のこと(でもないか)。故ダイアナ妃の追悼ソングとして。
年寄りだから言わせてもらうけど、あの曲はマリリン・モンローに捧げられたものだったんだよね。副題はグッバイ・ノーマ・ジーン(モンローの本名)。で、この曲が入っていたのがあの名盤「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(黄昏のレンガ路)」だった。
兄が生きていたときにこの二枚組アルバムを買っていて、おかげで延々と聞き込むことができた。「グレイ・シール」「スィート・ペインテッド・レイディ」「ベニーとジェッツ」(この映画でも使われています)などの名曲や、「ツイストは踊れない」から「土曜の夜は僕の生きがい」への絶妙のつなぎなどのセンスが爆発していて、どう考えても彼のキャリアのベストだったと思う。
で、この伝記映画(というか典型的な楽聖映画でもある)「ロケットマン」は、そのアルバムタイトル曲のピアノバージョンでスタート。ど派手なステージ衣装(翼の折れた天使を象徴)を着たエルトンは、沈鬱な表情を浮かべた連中の輪の中へ。
なんとこのミーティングはAAだったのである。AA……アルコホーリクス・アノニマス(Alcoholics Anonymous)とは、アルコール依存症脱却をめざした自助グループのこと。
えーと、「ファインディング・ニモ」で、サメたちが変な集会をやってたのをおぼえている人もいると思う。あれです。自分の過去や欲求をあからさまにすることで依存症を抜け出そうという試み。元アル中探偵マット・スカダーもお世話になっていました。
エルトンはアル中だけではなく、ドラッグ、セックス、買い物など、依存症のかたまりであることを告白。彼の人生がこうやって語られていく……以下次号。
第33回「仁義なき戦い」はこちら。
二・二六事件およびIOC会長接待大作戦という大わらわを「目黒のさんま」でくるむというみごとな回。
まず、226。
首謀者の安藤大尉が銃殺されるときにひとりだけ「秩父宮陛下万歳」と叫んだことから、一種の壬申の乱だったと推論したのは「仁義なき戦い」を書いた笠原和夫さんだ。昭和天皇が最初からこの決起に激怒していたことも傍証かと。
わけがわからないままこの決起に参加していたのが柳家小さん(五代目)だったのは有名な噺、じゃなくて話。高橋是清の死は、萩原健一をもう使えないので是清のあだ名、ダルマの絵で説明したのはむしろクールだった。
ことの真偽はともかく、報道機関を襲撃するのはクーデターの常道とはいえ、どうにもやはり気持ちが悪い。国民にいちばん近いところに暴力で訴える所業が。そういえば現政権はひたすら“どう報じられるか”に拘泥している。執拗なくらいに。
だからこそ、報道にはそれなりの矜恃というものが必要なのに、近ごろの嫌韓騒ぎを見るとどうにもこうにも。それからこれはわたしだけかもしれないけど、自ら“維新”を名乗る連中にろくなのはいないと思いますよ。
つづいてラトゥールIOC会長の接待。嘉納治五郎の能天気な発想で……しかしいざ呼んでみれば、戦災のアントワープで行われたオリンピックのすばらしさを賞揚するなど、やはりみごとなネゴシエーターぶり。「“禁じ手”(ムッソリーニの懐柔)を使ったことはすまなかった」と謝罪するなど、さすが柔道家。
田畑が帯同した接待は、清さんの車引きとしての最後の仕事。寄席では志ん生(当時は金原亭馬生)が目黒のさんまを演じている。実はわたしも若い頃、国道7号線でヒッチハイクをしていた外人女性二人組に
「バウト200イヤーズアゴー」
と目黒のさんまを英語でかましたことがあって、あれはしんどいことではあったなと懐かしく(笑)。
そしてあの有名な殿様のサゲのセリフをオリンピックにからめるあたり、宮藤官九郎のテクニックここに爆発。熊本における大竹しのぶの大芝居で泣かせるなど、大満足の回でした。
第35回「民族の祭典」につづく。
Elton John - Goodbye Yellow Brick Road Lyrics
その2はこちら。
前提としてわたしは、電動ヘッジトリマや、エンジン付刈り払い機をいつも使っている客だ。そういう人間の意見として聞いてね。
不満の第一は、とにかくチカラが弱いということ。使って以降、あのCMを見るたびに「絶対にこんなに軽快に切れやしない!」と、もやもやした気分に。
次に、安全機能の充実はけっこうなことだけれど、スタートするにはストッパーを解除しなければならず(常にストッパーを押していなければならない)、だから3m伸ばせるとしても、その長さを十分に活かすことができないのがうらめしい。
次に使うときにはストッパーにビニールテープかガムテープを貼って固定してやろうと思っている。多少危ないけれども、そういう使い方をしている人はけっこう多いと思う。
高枝切りとしても使えるかな、という甘い考えは捨てたほうがいい。切れるのは8mmまでの枝で、それ以上だと安全装置がはたらいてすぐにストップ。
1回の充電で30分しか使えないとお嘆きのあなたには、逆にあれを30分も使えるんですかとうかがいたいくらいだ。実質20分くらいで電池はなくなるんだけど、それで十分ですって。腕がしんどくてかなわないので。
でも。
いろいろと文句は言ったけれども、それはめいっぱいアームを伸ばした状態のことを指しているわけで、気軽に剪定したい人にはなかなかのツールではないかと思う。わたしにしても、いままでギブアップしていた高い場所も一応形を整えることができたのはうれしい。
税込み19800円+送料2500円=22300円。この値段に見合っているかどうかは微妙なところ。でもさあ、庭師を一日雇ったらどれだけかかるか、ってことと、庭木の剪定が年齢とともに楽しくなってきたことも相まって(だから買ったのマジックトリマー)、今回のお買い物に後悔はしていない。
ほんとよ。後悔してるなんて言ったら、お金を出した妻にどんなことを言われるか(笑)。
本日の1曲。「ロケットマン」はこの曲からスタートします「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」。中学生のころ、バーニー・トーピンの詞は訳で読んでもさっぱり意味がわかりませんでした。
その1はこちら。
「TVでは柄を畳んだ状態では軽いと言っていますが、伸ばした状態では軽いとも重いとも言ってません。不誠実な言動だと思います。TVで軽いと言っているご婦人は、たぶんマスターズオリンピックの選手です。そう考えるとご婦人の言動は納得いきます。一度、家に在る掃除機やモップの先に2リットルのペットボトルを付けてみてください。それがマジックトリマーの重さです。」
「まるでおもちゃです。お話になりません」
……うわあ。マジックトリマーのために擁護しておくと、ほめてるレビューもあるんですよ。まあ、批判的言辞も話1/3に聞いておいたほうがいいかな、と勢いでポチッ。
レビューのなかには、なんでこんなに届くのが遅いんだと怒っているのもあった。お盆が終わる前に剪定を終えたかったので、それは困るなあ……さすがアマゾン、翌日にもう届きました。
まあ、届いたら届いたで熱が冷めてしまい、涼しくなってからやろうかな、となってしまうのがわたしの柔弱なところ。いかんいかん、翌日に強引に庭に出る。組み立てはいたって簡単だし、すでに十分に充電してあるのは好印象。
まず、9尺の脚立を使ってもどうしても届かなかったツゲの木に向かう。えーと、アームをこう伸ばして…………ん?
レビューが言うように、手に持つ2.5リットルのペットボトルと、3メートル先の棒につるしたペットボトルでは負担が大違い。
確かに、女性でも楽々かもしれない。でも、これまたレビューが言うように、楽々なのは鍛え上げられた肉体を持つ女性に限ると思う(笑)。
それに、機能的にもしんどい部分はあるのだった。以下次号。
BSや、お昼の地上波のテレビを見ていると、とにかく通信販売のCMが花盛りだ。世の中の人たちは、どれだけグルコサミンやセサミンが不足しているのか。わたしもまもなく世×谷食品のサプリをいただくようになるのかしら。
そんななか、わたしがどうしても気になって気になって仕方のないCMがひとつ。
マジックトリマーだ。
「お庭のお手入れ革命!」
「女性でもらくらく安心操作!」
「いろんな場所で大活躍!」
……うーん、通販業者に踊らされるのもくやしいので、話半分、いや話1/3で聞いたにしても、なかなか魅力的。というのも、うちの庭木はけっこう背が高く、しかも脚立(6尺と9尺を使用しています)を設置しにくい場所が多いので、すごく苦労しているの。だから庭師を雇わない年は、上の方までとても手が回らない。そこが、我ながら不満。
このマジックトリマーは3mまでアームが伸ばせるということだから、自分の身長も加味して4mぐらいまでなら脚立なしでいけるんじゃないか。
その誘惑についに耐えきれず、妻におねだり。CMがちょうど流れてきたので
「見て!これ見て!おれ、これが欲しいんだけど」
「…………いいわよ」
意外にあっさりとOKが出る。
「仕事に使うんだしね」
うんうん。翌朝、妻の気が変わらないうちにと発注。さすがに発売元のダイレクトテレショップの
「30分間オペレーターを増員してお待ちしています」
と電話なんて迂遠なことはしていられない。ネットで、というかAmazonでポチッとしよう。アマゾン経由でどんなメリットがあるかというと、利用者の声をチェックできるから。これがさあ、出てくる出てくる悪口雑言の嵐。あらら。以下次号。
Elton John - Bennie And The Jets (Official Music Video)
PART2はこちら。
固定担任制の廃止のつづき。
「固定担任制の下では、学級担任は、クラスの子どもたちに対し、良い意味でも悪い意味でも責任を持ちすぎるところがあります。極端に言えば、自分の学級の生徒の人生すべてを背負っているかのような気負いがあります。加えて、『クラスの子どもに好かれたい』という気持ちも強いものです。その結果、指導は必要以上に手厚くなります。そして時に、極端になります。」
……これには首肯する人が多いだろう。そして誰でも想像するとおり、小学校はもっとその傾向は強く(反発する人たちの顔まで見えるようだが)、しかしそれでも全員担任制は有効ではないかと工藤氏は考えている。
この書を貫いているテーマはこうだ。
・優先順位を間違えるな
・手段を目的化するな
その意味で、彼がやっていることは冒頭の三点だけではない。意味の分からない校則をなくし、自己目的化した服装指導の行き過ぎを抑え、制服を見直し、研究指定を返上しようと画策し……
礼儀正しい筆致なので、うっすらとしか読み取れないが、これらの改革に対して反発した職員は多かったはずだ。教職員組合だって例外ではない。もちろん、もしもわたしが麹町中学校に勤務する学校事務職員だったとして、彼の方針に100%同意できるかははなはだ心許ない。
田舎の中学校に勤務するわたしには、都会の私学と公立の関係がよくわからないが、公立の学校でこれだけのことができるという実績はやはり強い。工藤氏は喝破している。学校において改革が進まないのは、これまでのやり方における勝ち組が教職員になっているから。
ブラック部活動と同じように、成功体験を疑うことを、わたしたちには求められているのだろう。この本を読んでから職員会議に出ると、「ああ、成功体験から離れられない人って多いんだなあ」と気づかされますよ。必読。
本日の1曲は「ロケットマン」を見たのでエルトン・ジョンを。映画でも使われていた「ベニーとジェッツ」すばらしい曲です。
Sonny Clark - Cool Struttin'
PART1はこちら。
工藤氏がそれぞれ推し進めた改革について、その背後にある彼の考え方が記してあるので引用してみます。
・宿題廃止
「批判や誤解を恐れずに言えば、教員が宿題を出すのは子どもたちの『関心・意欲・態度』を測り、評価(通知表)の資料とするためではないですか。もっと私たちは専門性を発揮しないといけない」
「宿題を全廃したことで、最も喜んだのは、受験を控えた3年生の生徒たちでした。それは『負担が減って楽になったから』ではありません。自分にとって重要ではない非効率な作業から解放されたからです。」
……麹町中という伝統校だからこそできることだろう、という反駁は理解できる。学習習慣をつけることそれ自体に苦しんでいる学校の方が多いではないかと。ただ、工藤氏の主張を論破できる教員が、それではどれだけいるだろうか。
・定期テスト廃止
「一夜漬けでの学習は『テストの点数を取る』という目的においては有効ですが、学習成果を持続的に維持する上では効果的とは言えません。テストが終わったら、かなりの部分は忘れてしまうものです。そうしたプロセスを経て獲得した点数・評価は、その生徒にとっての『瞬間最大風速』にすぎず、それをもって成績をつけたり、学力が付いていると判断することは、適切な評価とは言えません。」
……痛っ。この指摘は一夜漬けオンリーだったわたしにも痛い(笑)。もちろん定期テストがなくなっただけで話は終わらず、かわりに単元テストや実力テストがその分増えている。
・固定担任制の廃止
「例えば、生徒のすべてを1人の担任に委ねることになってしまいがちなため、固定担任制では、子どもたちを保護者にとっての学級の良し悪しは、多くの場合、担任に紐づけられる傾向があります。学級の中で問題が起きれば、子どもたちや保護者は安易に担任のせいにしたり、また担任の方も自分で問題を抱え込んでしまったりする状況が生まれていきます。」以下次号。
本日の1曲は、ジャケットからなにからむやみにかっこいいソニー・クラークのクール・ストラッティン。メンツがまたすごい。
万延二年二月三日(1861年3月13日)に生まれたと称する男が、看護師に語る近現代史。
奥泉光は東京に語らせるという手法を採用したが、島田は“死なない”人間を主人公にもってきた。ある意味ストレート。
作家としてこんな形で歴史を語る欲求は抑えきれないに違いないのだが、この書の勘所はもうひとつ。若い頃の記憶は微細だけれども、次第に人生が駆け足になってくるあたり。
還暦が近いわたしですら実感しているのだから、159才まで生きた主人公にとってはそれはそれは……。いつまでもルックスが変わらないため、戸籍を取り替えざるをえないあたりの展開が可笑しい。
ケン・グリムウッドの「リプレイ」では、何度も人生をやり直す主人公が、前世に残してきた家族との別れになかなか対応できないあたりの描写にうなったが、この小説も多くの死に彩られている。長生きをするのって、しんどいねえ。
大げさではなく、業界騒然。ある公立中学校の校長が実現した
・宿題の廃止
・クラス担任の廃止
・中間、期末テストの廃止
……そんなことができるのか?と、この業界に長ければ長いほど思うはずだ。可能だったとしても、それが職員や保護者、そして生徒の支持を得ることができるのか。
“改革”を推し進め、この書を著したのが千代田区立麹町中学校の校長、工藤勇一氏だ。テレビなどでも紹介されたのでご存じの人も多いだろう。
あまりにもその内容が過激に見えるので、おそらくは極端な原理主義者か、楽天的な理想主義者、あるいは“アイデアマン”なのかな、と身構える人も多いと思う。この業界におけるアイデアマンとは、一種否定的な評価と同義だから。
彼の履歴を【著者紹介】から引いてみよう。
1.1960年生まれ
2.山形県鶴岡市出身
3.東京理科大学卒業
4.山形県公立中学校教員
5.東京都公立学校教員
6.目黒区教育委員会勤務
7.新宿区教育委員会指導課長
……そして、現職に至っている。そう、実はわたしと生まれた年もいっしょなら山形県庄内地方の出身なのもいっしょ。そしてなにより、彼が山形県で新規採用されて勤務していたのは、わたしが7年間も勤めていた中学校なのだ。
じゃあ知り合い?……全然(笑)。しかし工藤氏のその頃の同僚がいまの学校にいて、この騒ぎになる前に麹町中学校に研修に出かけている。旅費はこういう時に使わなきゃ(配当予算じゃなかったので言えるんだけど)。以下次号。