Elton John - Grey Seal 1973 (With Lyrics!)
PART1はこちら。
「ボヘミアン・ラプソディ」のときに驚いたのは、フレディ・マーキュリーがザンジバル出身だったりゲイだったりに激しくコンプレックスを抱いていることだった。リスナーとして、アーティストが“そんなこと”で悩んでいるなど想像もしなかった。フレディはフレディじゃん、と。
エルトンの闇はもっと深い。彼は子ども時代から父親に愛されたことがないのだ。軍人だった父は、息子をハグすることもなく、レコードコレクションに触れることも許さない。
この愛情欠乏症は、父親が新しい家庭のなかで息子たちを溺愛していることを知ってなお深刻化する。そして、お決まりのゲイ。これまたボヘミアン・ラプソディと同様にスタッフとそういうことになり、同様に裏切られる。なんかもうロックスターの定番ですか。
エルトンを演じたのは「キングスマン」のタロン・エガートン。あの映画でスウェーデンの王女様と×××セックスをしたせいできっと目覚めて……すみません冗談です。
演出は、ブライアン・シンガーが現場から放り出されたあとに「ボヘミアン・ラプソディ」を仕上げたデクスター・フレッチャー。彼はつづいてボーイ・ジョージの伝記映画を撮るんだとか。ゲイ三部作ですか。
エルトンはこの作品のなかでひたすらに作詞のバーニー・トーピンを愛し続け、そして反目する。エルトンはコンプレックスのかたまりだから(ゲイだけでなく、薄毛、ルックスなどに悩んでいたことが察せられる)詞を書くことが出来ず、そんなときに出会ったのが天才&美貌の作詞家なのだから恋い焦がれるのも無理はない。しかしバーニーはノンケだったのである。
少なからず不満だったのは、タロンは健闘しているとはいえ、やはり歌はエルトンで行ってほしかったと思う。あふれる天才が、ついに飽和点に達して「僕の歌は君の歌」ができあがるなどのエピソードももっとほしかったとつくづく。
それだとボヘミアン・ラプソディの二番煎じになっちゃう?けっこうじゃないですか。選曲も、詞でストーリーを語るというコンセプトだから仕方がないとはいえ、どうも納得できない。キキ・ディーとの「恋のデュエット」や「悲しみのバラード」は(わたしは大好きなんだけど)ストーリーに合ってたかなあ。
あ、驚いたのは母親役がブライス・ダラス・ハワードだったこと。去年の「炎の王国」でセクシーなところを見せた彼女が、一転して冷たい母親に……役者やのぉ。
曲は「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」からライブバージョンの「グレイ・シール」好き。いかにもピアニストがつくったロック。