30代は、「お寺に住む者」として、建前で言動していた私も、
40代前半、得度(とくど:僧侶になること)と、40代後半には教師教修(住職になることができる資格?)のご縁に遇わせていただき、今は、お寺に縁あって、本当によかった、有り難いことだった と本音で思っています。
子どもは親(住職夫婦)を冷静に見ています。
いくら、小さい時から、「跡取り」と目され、育てられたとしても、
親が、心から お寺の生活、仏教 を喜んでいない・・・つまり、本音と建前のギャップがありすぎて、陰で愚痴ばかり言っていたのでは、「お寺の後継者になりたい
」とは思わないでしょう。
それに、自分の子どもさえ、仏教を歓ばないような育て方をしていながら、
ご門徒さんには、エラソウに「お参りしてください。聴聞が大切ですよ
」とは言えませんよね。
私は、本当に精神年齢の低い、未熟な母親なので、立派な子育てなんぞは、全くできておりませんが、
娘達にとって
「お調子者の母だが、何だかお寺のことを喜々として頑張っているなあ~」
とだけは思ってくれていたようです。
まだまだつづく・・・
40代前半、得度(とくど:僧侶になること)と、40代後半には教師教修(住職になることができる資格?)のご縁に遇わせていただき、今は、お寺に縁あって、本当によかった、有り難いことだった と本音で思っています。
子どもは親(住職夫婦)を冷静に見ています。
いくら、小さい時から、「跡取り」と目され、育てられたとしても、
親が、心から お寺の生活、仏教 を喜んでいない・・・つまり、本音と建前のギャップがありすぎて、陰で愚痴ばかり言っていたのでは、「お寺の後継者になりたい

それに、自分の子どもさえ、仏教を歓ばないような育て方をしていながら、
ご門徒さんには、エラソウに「お参りしてください。聴聞が大切ですよ

私は、本当に精神年齢の低い、未熟な母親なので、立派な子育てなんぞは、全くできておりませんが、
娘達にとって
「お調子者の母だが、何だかお寺のことを喜々として頑張っているなあ~」
とだけは思ってくれていたようです。

まだまだつづく・・・