今回、ウチの住職さんの お盆の法話 の中で
亡くなった方は、阿弥陀仏と同じはたらきの「仏」となっておられるのですから、浄土で「安らかに眠って」おられるわけではありませんし、「お墓の中にじっと眠って」おられるわけでもありません。
「仏」となられた、その智慧の眼で、私たちをご覧になれば、ハラハラして、とても安らかに眠っちゃおられない。いつも、私たちを心配して見まもり、覚りに導こうとはたらいてくださっています。
それを聞いた若い人の 疑問
「故人が『お墓に眠っていない』と言うのならば、何のためのお墓なのか
」
う~ん、そうですね。住職がお伝えしたかったのは、「霊魂としてお墓にじっと宿っているわけではない
」ということです。
そもそも、お墓は、故人の「終の棲家」ではありません。
故人自身は、今は、仏と成って、お浄土の人ですから・・・
仏の教えから申せば、「自分のお墓」はどうでもいいことです。
埋葬してもらわなきゃ、化けて出るわけでも、霊となって、タタルわけでもありません。
じゃあ、お墓(納骨場所)は何のためにあるのか
お墓は、後に残った者が、故人を偲ぶ「縁」
大切な人を失って・・・唯一、残るのは、その方の「お骨」です。
「大切な人を大切に偲びたい」遺族、知友にとっては、大切な故人の「お骨」を捨て置く気分にはならないでしょう。大切に偲びたいでしょう。
お墓とは「後に残された人のためのもの」です。
遺産だけもらって、
お骨は要らない、仏壇も要らない、仏の教えも要らない、まして、お寺と付き合うなんぞ、そんな面倒なこと、とんでもない
と思う方が増えているようで・・・
そんな方にとって、故人は、死んでお終いなんでしょうか
故人はどこに行かれたのでしょう
残された者が、仏の教えに耳を塞ぐことは、「仏」となられた故人の思いを拒絶することで・・・一番、無礼で、仏さまを悲しませることだと思うのですが・・・

「仏」となられた、その智慧の眼で、私たちをご覧になれば、ハラハラして、とても安らかに眠っちゃおられない。いつも、私たちを心配して見まもり、覚りに導こうとはたらいてくださっています。

それを聞いた若い人の 疑問



う~ん、そうですね。住職がお伝えしたかったのは、「霊魂としてお墓にじっと宿っているわけではない

そもそも、お墓は、故人の「終の棲家」ではありません。
故人自身は、今は、仏と成って、お浄土の人ですから・・・
仏の教えから申せば、「自分のお墓」はどうでもいいことです。
埋葬してもらわなきゃ、化けて出るわけでも、霊となって、タタルわけでもありません。
じゃあ、お墓(納骨場所)は何のためにあるのか


大切な人を失って・・・唯一、残るのは、その方の「お骨」です。
「大切な人を大切に偲びたい」遺族、知友にとっては、大切な故人の「お骨」を捨て置く気分にはならないでしょう。大切に偲びたいでしょう。

遺産だけもらって、
お骨は要らない、仏壇も要らない、仏の教えも要らない、まして、お寺と付き合うなんぞ、そんな面倒なこと、とんでもない

そんな方にとって、故人は、死んでお終いなんでしょうか


残された者が、仏の教えに耳を塞ぐことは、「仏」となられた故人の思いを拒絶することで・・・一番、無礼で、仏さまを悲しませることだと思うのですが・・・
