お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

お墓の意味

2009年08月25日 | 仏教
 今回、ウチの住職さんの お盆の法話 の中で

 亡くなった方は、阿弥陀仏と同じはたらきの「仏」となっておられるのですから、浄土で「安らかに眠って」おられるわけではありませんし、「お墓の中にじっと眠って」おられるわけでもありません。
 「仏」となられた、その智慧の眼で、私たちをご覧になれば、ハラハラして、とても安らかに眠っちゃおられない。いつも、私たちを心配して見まもり、覚りに導こうとはたらいてくださっています。

 それを聞いた若い人の 疑問 

 「故人が『お墓に眠っていない』と言うのならば、何のためのお墓なのか

 う~ん、そうですね。住職がお伝えしたかったのは、「霊魂としてお墓にじっと宿っているわけではない」ということです。

 そもそも、お墓は、故人の「終の棲家」ではありません。
 故人自身は、今は、仏と成って、お浄土の人ですから・・・

 仏の教えから申せば、「自分のお墓」はどうでもいいことです。
 埋葬してもらわなきゃ、化けて出るわけでも、霊となって、タタルわけでもありません。

 じゃあ、お墓(納骨場所)は何のためにあるのか

 お墓は、後に残った者が、故人を偲ぶ「縁」 

 大切な人を失って・・・唯一、残るのは、その方の「お骨」です。

 「大切な人を大切に偲びたい」遺族、知友にとっては、大切な故人の「お骨」を捨て置く気分にはならないでしょう。大切に偲びたいでしょう。

 お墓とは「後に残された人のためのもの」です。

 遺産だけもらって、

 お骨は要らない、仏壇も要らない、仏の教えも要らない、まして、お寺と付き合うなんぞ、そんな面倒なこと、とんでもない と思う方が増えているようで・・・

 そんな方にとって、故人は、死んでお終いなんでしょうか 故人はどこに行かれたのでしょう

 残された者が、仏の教えに耳を塞ぐことは、「仏」となられた故人の思いを拒絶することで・・・一番、無礼で、仏さまを悲しませることだと思うのですが・・・
コメント
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