やはり会社をさぼってでも行っておいて良かった。というのは冗談で、健康診断で昼食抜きになり、さらにクリニックへの移動時間を合わせて使い、テンポラリースペースへ行くことができたのだ。私にしては、特定の展覧会を記事にするのは非常に珍しいことである。
まず目に入るのは、天井からつられたキャンバス。画題は「絵画の場合」の出品作に近い金網越しの風景である。私は前回作品を見たときに「閉塞感」を非常に強く感じたものである。
しかし今回の作品はどうだろうか。金網の中央は大きく破れている。ではそこが向こうの世界への突破口になっているかというとそうでもない。黒い影のようなより太い線がそこにかかり、見えるバリアより強力な見えないバリアを張っているかのようだ。
かといって、絶望感が沸いてくるような作品ではない。色彩が明るくも暗くもないので、向こうの世界は幸せの世界なのか、陰鬱とした世界なのかも容易には想像させない(ここは安易なイメージを描かなかった良さだと思う)。普通の人も描かれているようだし、普通の世界なのかもしれないのだ。となると、一体、金網および黒い影は何の象徴であるのだろうか・・・
とにかく面白い作品で、私の中の面白バロメータ(心の中で一人語りがどれだけ続けられるかが基準)は、相当なレベルに達した。「風景が私を見ている気がする。」いうタイトルも意味ありげだ。私は地方都市に行くと、人っ子一人歩いていない時に、周りの風景が不思議な存在感を発揮しているような錯覚にとらわれることがある(私は超心理学的なものを一切信じないのだが)。その感覚に少し近いのかもしれない。
私が参考にさせていただいている、札幌美術系ブログの皆さんも、この展覧会にはかなりの長文を寄せているようだ。昼間に抜け出して行ったので、ご本人にはお会いできなかったのだが、私には数少ない話を聞いてみたい作家さんの一人である。
クリニックに行く前に、慌しく銀行へ。すると「この指とまれ展’08春」が開催されていた。中央に石垣渉、竹津昇、川上直樹、3氏の作品が展示されているというのは、かなり贅沢な展覧会だと思う。そそくさと見てしまい、すみません。
まず目に入るのは、天井からつられたキャンバス。画題は「絵画の場合」の出品作に近い金網越しの風景である。私は前回作品を見たときに「閉塞感」を非常に強く感じたものである。
しかし今回の作品はどうだろうか。金網の中央は大きく破れている。ではそこが向こうの世界への突破口になっているかというとそうでもない。黒い影のようなより太い線がそこにかかり、見えるバリアより強力な見えないバリアを張っているかのようだ。
かといって、絶望感が沸いてくるような作品ではない。色彩が明るくも暗くもないので、向こうの世界は幸せの世界なのか、陰鬱とした世界なのかも容易には想像させない(ここは安易なイメージを描かなかった良さだと思う)。普通の人も描かれているようだし、普通の世界なのかもしれないのだ。となると、一体、金網および黒い影は何の象徴であるのだろうか・・・
とにかく面白い作品で、私の中の面白バロメータ(心の中で一人語りがどれだけ続けられるかが基準)は、相当なレベルに達した。「風景が私を見ている気がする。」いうタイトルも意味ありげだ。私は地方都市に行くと、人っ子一人歩いていない時に、周りの風景が不思議な存在感を発揮しているような錯覚にとらわれることがある(私は超心理学的なものを一切信じないのだが)。その感覚に少し近いのかもしれない。
私が参考にさせていただいている、札幌美術系ブログの皆さんも、この展覧会にはかなりの長文を寄せているようだ。昼間に抜け出して行ったので、ご本人にはお会いできなかったのだが、私には数少ない話を聞いてみたい作家さんの一人である。
クリニックに行く前に、慌しく銀行へ。すると「この指とまれ展’08春」が開催されていた。中央に石垣渉、竹津昇、川上直樹、3氏の作品が展示されているというのは、かなり贅沢な展覧会だと思う。そそくさと見てしまい、すみません。