三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

アルゼンチン共和国杯~馬券

2007年11月04日 | 競馬
アルゼンチン共和国杯です。メジロシートンが勝ったときは府中のゴール前にいました。今回は3歳馬の出走はなし。背負わされた人気どころを嫌って、中穴狙いにいきます。

◎18カゼノコウテイ
〇6ハイアーゲーム
▲7ダンスアジョイ
△9アドマイヤジュピタ

アドマイヤは岩田騎手から村田騎手への乗り代わりが気になりますが、スローペースの直線ヨーイドンの競馬になると見て、瞬発力に期待。ハイアーゲームは1年半ぶりを叩いて2走目。56kgとハンデも手頃だし、今回好走したら次回は人気になってしまうので、ここは買いでしょう。末脚の比較からは勝ってもまったく不思議ではありません。ネヴァブションとトウショウナイトを切ってしまって、あまり自信がないので馬連と3連単のボックスを少し買います。


税金の無駄遣いは国民の望み

2007年11月04日 | 政治・社会・会社

トケテコサメ。
出かけるときに必ず持って行くものを頭の文字で並べてみました。上空ではまだ雪混じりの雨、つまり霙状態だったのに地上付近の気温が高くて地面に着く頃には解けて小雨になっていたという無理矢理なこじつけです。内訳は時計と携帯電話と定期券(パスモ)と小銭入れと財布と名刺入れです。どれかひとつでも忘れると非常に具合が悪い。特に携帯電話は住所録代わりでもあるので忘れたら友人にさえも連絡できません。電話番号を覚える代わりに携帯電話に入力するだけでなく、住所やメールアドレス、誕生日、血液型まで覚えさせているので、忘れたら友人知人の誕生日もわからなくなってしまいます。万が一、配偶者の誕生日を忘れていたり結婚記念日に気付かなかったりしたら、大変な事態になります。
そんなことはともかく、今日はパスモを忘れてきました。パスモだから当然駅の改札で気づいたわけですが、取りに戻ると遅くなるので諦めて切符を買いました。190円。往復で380円。パスモを忘れなければ出さずに済んだ、100パーセント無駄な費用なので、金額に関係なく1日中気分を害しました。個人で、しかも380円でこれだけ気分が悪くなるのに、政府が私たちの税金を何兆円も無駄に使っていても、あまりピンとこないのはどうしてなんでしょう?
ひとつは私たちの税金に対する意識です。税金は納税という言葉があるように「納める」ものであるとされていますが、それはかつての年貢と同じで、農民や国民があたかも自主的に「納める」ものであるかのような言い方で、要するに政府や幕府が自分たちを悪者にしないための言葉に過ぎません。税金は、いまも昔も「とられる」ものです。「取られる」のではなくて「盗られる」という字を当てたくもなりますが、大半の人は給料から所得税を天引きされているので「引かれる」ものでもあります。自動的に引かれるので、私たちの興味は残った手取り額に集中します。この時点で税金の使い道にまで意識を巡らせることはありません。しかし、天引きされずに自分で納めるとしたらどうでしょうか? たとえば専業主婦の奥さんがいて、毎月給料の一部または全部を現金で手渡しているとしたら、手渡す方としては、その使い道が非常に気になります。ちゃんと必要なところに使って不要なこと、無駄なことに使っていないかと、時々チェックしたくなります。しかし実際には給料はほとんどが振込みで口座に入ってきますし、キャッシュカードは奥さんが持っていて、使い道に関する報告など一切ないことのほうが多いのではないでしょうか。気がついたら奥さんがパチンコにハマっていて、数百万数千万円の借金を作っていて、結局離婚したなんてことになる場合もあります。同じことで、税金もまとめて何十万も所得税を納めるとその使い道が気になりますが、毎月給料から天引きされていたり、自動的に消費税を取られたりする日常の中で、チェックしようという気にもならないし、国家予算は膨大すぎてチェックする時間もありません。気がついたら日本がダメになっていたなんてことになる場合もあります。奥さんの場合は離婚すればそれで終わりですが、相手が政府の場合は共倒れで、立ち直りようがありません。
ですからもうひとつの理由はマスコミの報道です。政治というのはある意味で税金の使い道を決めることですから、その使い道についてしっかりと検証して報道しなければなりません。国会は与党と野党がいて、与党が決めた税金の使い道を野党が検証します。野党の議員にも税金から歳費が支払われているわけですから、それに見合う仕事をするのは当然です。そしてそれをマスコミは報道しなければならない。予算が成立してその内容を垂れ流すだけの報道に終わってはならないのですが、実際は垂れ流して終わりです。予算の検証番組をやっても視聴率は取れないからです。視聴率が取れないということは、予算に関心がある人が少ないということです。国民は自分たちののレベルにあった政治家しか選べないと言いますが、マスコミも同じで、マスコミのレベルは国民のレベルそのものなのです。
という訳で、税金の使い道はこれからも野放しにされるでしょうし、政府のレベルはパチンコで数百万数千万の借金を作ってしまう奥さんと同じレベルです。それはとりもなおさず国民がそのレベルであり、前回の総選挙で小泉自民党を大勝させたレベルです。このままいくと、個人なら破産宣告を受けるか夜逃げするかという状況にまで追い詰められるでしょう。年老いた政治家たちは心の底では、そんなものは次世代に負の遺産として残して逝けばよいと考えているのです。そんな投げやりな老人たちに牛耳られているのが政府であり日本であるという訳で、もちろんそんな政府や国のありようを選んだのは、選挙民であり視聴者、読者である私たち自身なのです。