「発車のベルが鳴り響く」という言葉があります。物事のひとつの段階が終了して次の段階が始まってしまうときに使われます。たとえば慌てたり焦ったりする必要がないことを言うのに「発車のベルが鳴り響く訳ではない」という言い方をします。もともとの意味合いは文字通り列車の出発に先立って鳴らすベルのことですが、どうやら人を焦らせる働きがあるようです。発車のベルを聞くと、急がないといけない、乗り遅れてはいけないという気分にするのです。
「駆け込み乗車は他のお客様のご迷惑となりますので、絶対におやめください」という車内放送をよく聞きますが、駆け込んでほしくなければ発車のベルをやめたらいいと思います。発車のベルが鳴ると急がされている気分になってどうしても駆け込んでしまいます。目覚まし時計が「起きろー、起きろー」と鳴っているように聞こえるように、発車のベルは「急げー、早く乗れー」と聞こえるわけです。
考えてみれば、私たちの日常には、発車のベルに相当するものがたくさんあり、いろんなところで急かされています。みずから望んだわけでもない約束事がたくさんあって、出来る限り間に合わせないといけないというルールになっています。学校や会社に間に合うように、電車に間に合うように、待ち合わせや会議に間に合うように、納期に間に合うように、試験に間に合うようにと、追い立てられ、けしかけられて生きているのです。本当にうんざりです。
詩人のリルケは「朝起きて一番に、詩を書きたいと思ったら、あなたは詩人だ」と言いました。
では私みたいに、朝起きてもしたいことが何もない場合はどうなんでしょうか?
実際に何もせずにただ食べたり寝たり風呂に入ったりするだけなら、それは怠け者ですが、したいことは何もなくても、しなければならないことがたくさんあって、したくもないのにするのは何者なのでしょうか?
不安と恐怖の日常の中で、不安と恐怖に駆られて学校に行ったり職場に行ったり勉強したり仕事したりする人たちを、どのように呼べばよいのでしょうか。
もしかして、それは奴隷?