いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

北京の玉音放送 -北京出張2006 ⑨-

2006年12月18日 21時24分19秒 | 中国出張/遊興/中国事情


北京の壁絵


■11日朝、北京の滞在先のホテルのテレビ。

60余りチャンネルのあるホテルのケーブルテレビのチャンネルを廻していると、中国なのに、いきなり、ひろひとさんの声。

NHKの朝のドラマでは今朝が8月15日だったのだ。場面は、パパ・ママ・娘がちゃぶ台を囲むというなぜいつも玉音放送を聞く場面はこの定型なのかというくらいベタな風景。パパ役は時任三郎。淡々と聞いている。少しはぎょっとすればいいのに。

google; 芋たこなんきん 玉音放送

ここで、ラジオから石原真理子の声でくだんの本の朗読でも流れて、マジで時任がぎょっとすればおもしろいのにとか思ってしまう。

■そんなくだらないことを考えていたら、ふと、そういえば昭和20年8月15日の北京は日帝支配下にあったはずだと思いつく。そうなのだ、北京は日本占領下にあったのだ。外地でも玉音放送を聞いたというから、北京でもひろひとさんの声を、この石壁の街は聞いたのだろう。

■北京占領下の日本人というとイメージがわかない。 南京と事情が違うし。 北京占領下の日本人で有名人って、立花隆くらいか? 当時2-5歳! 日帝侵略子供である(爆)。 だから、アベ坊ちゃん@口先ウヨよりよっぽど日帝本流ではある。 立花の親御さんは北京で何していたんだ? (立花の本名は橘で、そもそもは水戸の出らしい。 それで、かの橘孝三郎の親戚らしい。 素敵な奥様に言わせれば、へたれは何故ネコが好き?であるから、自ビルまでネコなので、ふんだりけったり、ねこふんじゃったというわけで、もうサンザンである。) 

■日帝支配下の北京大学は「偽北京大学」と戦後は呼ばれているとのこと。その偽北京大学で教官をやり、「"偽"中日文化協会理事」を勤めたのが、魯迅の弟である、周作人。結果的にか、望んでか、日帝占領政策のエージェント役を担わされたことのなる。

■彼は戦後、国民党に捕まって、南京で獄につながれるが、この直後南京を占領した共産軍に「救われ」、北京に帰る。事実上の軟禁生活であったらしい。しかし、過酷になるのは文革時だったらしく、その時期死ぬ。