いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

格力高・百力滋 (グリコ・プリッツ) -北京2006 ⑫-

2006年12月24日 11時35分30秒 | 中国出張/遊興/中国事情


■【都知事とばか親】
石原東京都知事のげーじつ家であらせられる、who is the 余人をもって替えがたいげーじつ家、4男様のことが話題になっているが、ばか親こそ ぬほんずん の最も特筆すべき属性のひとつであると、ぬほん人記載学者とすてのおいらは、いわねばならない。 青島幸男は参議院で党派を形成して立候補したとき、娘を名簿にのせ、「彼女は教育(だったかな?)の専門家であります」と訴えていた。右も左も、党派も無党派も、江戸っ子も市民も、芥川賞も直木賞も、自民も非自民も、息子か娘かも、リンリンかランランかも、ちょっと・ちょっとのAかBかも、東宮家も秋篠宮家も、そんなことは関係ないのである、バカ親であること、は。 

■【アカと世襲】
その点、「ばか親」にならないことを意識的、注意深くさけているヨヨギは、非「ぬほん」的といえるのだろうか? テリー伊藤の『お笑い日本共産党』では、ヨヨギの党員は2世、3世が多いそうだ。そうだろう。まっとうなぬほんずんで、なにが悲しゅうてヨヨギにならねばならぬのか。 それはさておき、ヨヨギの2、3世は、ヨヨギの教義ならびに慣習で育つのだから、党官僚になりたいなら、トーダイにいくだろう。そうすると、トーダイ出の2,3世ヨヨギ党員が多数派になる。その場合、トーダイ出の2,3世ヨヨギ党員は、世襲禁止というだけで出世できなくなるのだろうか? そんなことはない。 この先、ヨヨギは、トーダイ出の2,3世ヨヨギ党員・議員が続出せざるを得ないのである。

ちなみに、ヨヨギを「伝統的文化財/伝統芸能」として反故すべし、あっ・もとい、保護すべきと主張したのは俵孝太郎(だったかな?)である。

▼今は日曜の午後であるが、子供のころ、なぜかしら日曜の午後はテレビで映画の『兵隊やくざ』を、よく?、やっていたものだ。その1場面を思い出した。「兵隊やくざ」は、今おもえばソ連参戦前後の満州が舞台であった。引き上げで軍がトラックを出す。おんな・子供・老人が乗れる。その他の民間人は歩きである。子供の定義は未就学児童。ある婦人が子供をトラックに載せようとする。ランドセルを持っている。田村・兄が、歩け!学校に行っているのだろう。というも、母親が、違うんです、まだこの子は学校に行っていないのです、と「ウソ」を必死につく・・・・・・。 これは、ばか親なのか?なんなのか?考えずに、おいらは昼ねします。おやすみなさい。