■尊皇よい子のおいらはひろひとさんの御製をそらんじ、おもてに出ては、青空のもとで声にだして唱えていたものだった。 そもそもものおぼえがいいほうではなかったので、おぼえた御製も限られたものではあったが。
■そんな、今から見れば、昭和末期、音楽ソフトには大変革があった。すなわち、CDプレーヤーの登場により、CDソフトが続出。特に過去の楽曲が簡単に手に入るようになった。クレージーキャッツなど、おいらが生まれる前の活躍であったが、その楽曲集、とくに ウタ(詩) はおいらの脳髄に激震をもたらした。
毎日聞いた、うたった。すごいとおもった。(おいおい、御製はどうした)
『スーダラ節』
『無責任一代男』
『ゴマスリ行進曲』
『遺憾に存じます』 などなどが超代表。全曲すばらしい。
昭和末期でも完全過去だなーと感じさせた、フルバンドのあの音響感。植木等のあのはっきりした発音ととおりのよい声。 まったくもってすばらしい。
■そんなうち昭和が終焉した。その時テレビではひろひとさんの激動の人生を実写フィルムをもって映し出していた。その時、尊皇よい子のはずのおいらの頭の内部には、
~♪~♪~
おーれーは、この世でいちばん、無責任と、よばれた、おとこ~
~♪~♪~
と鳴り響いてたのである。 宮内庁も歌舞音曲をきんすすておったのに、なんとも罰当たりなことであった。
~♪~♪~
おーれーは、この世でいちばん、無責任と、よばれた、おとこ~
~♪~♪~
畏れ多くも、ぎょめーぎょじを見ると、これまた頭の中では、
~♪~♪~
毎日、会社に来ても、デスクにじっとしてるだけ
~♪~♪~
居眠りしながら、めくらばん、それでも社長になった~
と、鳴り響いてしまうのである。なんて罰当たりなことでしょう。
■このクレイジー・キャッツ CDベストの全18曲のうち13曲が青島幸男の作詞である。全く持ってこれは尊皇よい子のおいらにとっての悪魔の詩にほかならない。 それにしても、クレイジー・キャッツは狂猫(きょうびょう)どもと今日気づいた。 ねこだ。 やっぱり、素敵な奥さまのおっしゃるように、へたれだったので狂猫(きょうびょう)どもの悪魔の詩にとりつかれたのだろう。
■それにしても;
~♪~♪~
人生で大事なことは
タイミングに、 C調に無責任
とかくこの世は無責任
~♪~♪~
とは、よくいったものだ。
C調言葉に御用心
「妾」宅が官舎の「美しい国 日本。」! まんせー!!!!