北京の街角の献血車。 車に描いてある血滴キャラが「ぴちょんクン」のようだ。
■昨日の野依センセの塾禁止発言の続き。 そもそも野依センセの塾禁止を政府に提言することは、政府に憲法違反の政策を提言することである。結社の自由、学問の自由などを犯す政策を政府がしていいはずがない。憲法というのは、政府の統治行為を制限するものである。国民が塾をつくり、子弟をかよわせるのは勝手である。
首相の直属の提言会議において白昼堂々と憲法違反を政府に唆す(そそのかす)とは恐れ入る。2重に問題なのは会議で誰もたしなめた人がいないことである。
もちろん、おいらはマッカサー憲法なんてろくに読んだことないし、心底、憲法や教育基本法なぞ踏みにじればいいのだ!と常日頃考えていてやむことがない。おいらは憲法で拘束されるべき権力行使者ではないのだから、勝手なのだ。 一方、憲法違反だといえば、いつも大騒動する護憲派は、今回は特に何も言っていない。
わずかに、捜せたの1件;Like a rolling bean (new) 出来事録 2006-12-24 テーマ:ああ教育
ああ、立憲主義。 ああ、りっけんしゅぎ、ととなえるとおいらは虚しいよ。 野依センセは、こういう状況を出来させるための方便のつりネタ、つまりは、日本国民には立憲主義の精神なぞないのだぞ!と目にもさやかに見えさせたというネタ、をかましてくださったのでしょうか?
ブログでも、野依センセは憲法の精神に反すると文句をいう人は少ない。野依センセ非難で一番多いのは、世間知らず・素人・現場知らずの思いつき、という世間知というべきものに基づく。それはそれで、賛成反対は別としても、普通の人の生き方、発言である。 つまり、世間では誰も憲法なんか参照していないのである。 (それにしても、神童人間ってのはすごい言葉だ。)
もちろん、日常の普通の人(憲法で拘束されるべき権力行使者ではない人)の生活への憲法導入なんかではなく、政府に何かしろとか何かするなということこそ憲法を参照とすべきなのに、普通の人はしていない。 つまり、マッカサー憲法は立憲主義の産物でもなんでもないことの証左にほかならない。
そんな憲法は踏みにじってやればいいのだ。
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塾禁止したかった。 政府転覆塾 主宰