いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

コスプレ女官 -北京出張2006 ⑩-

2006年12月20日 20時11分02秒 | 中国出張/遊興/中国事情


(なんちって疑惑高い)清朝宮廷料理屋

コスプレはコスチューム・プレイの略語。
別にプレイするわけではないので、コスサー=コスチューム・サーバントかな。

■おまい本当は、石川町あたりのズボンおろす店にいったんだろうと御察しの方は、
ぽちっとよろしく、 → 


ぎょっ

2006年12月19日 20時39分02秒 | その他


ごま入りにぎりにマグロ、ではなくドラゴンフルーツだって。

■昨日の記事で、「マジで時任がぎょっとすればおもしろいのに」、と書いた。
そんな今朝、ブックマークの毎朝の巡回。
ぎょっ;

イカの恨み

ぎょっ?! っと、 おいらずすんがすてすまった。







北京の玉音放送 -北京出張2006 ⑨-

2006年12月18日 21時24分19秒 | 中国出張/遊興/中国事情


北京の壁絵


■11日朝、北京の滞在先のホテルのテレビ。

60余りチャンネルのあるホテルのケーブルテレビのチャンネルを廻していると、中国なのに、いきなり、ひろひとさんの声。

NHKの朝のドラマでは今朝が8月15日だったのだ。場面は、パパ・ママ・娘がちゃぶ台を囲むというなぜいつも玉音放送を聞く場面はこの定型なのかというくらいベタな風景。パパ役は時任三郎。淡々と聞いている。少しはぎょっとすればいいのに。

google; 芋たこなんきん 玉音放送

ここで、ラジオから石原真理子の声でくだんの本の朗読でも流れて、マジで時任がぎょっとすればおもしろいのにとか思ってしまう。

■そんなくだらないことを考えていたら、ふと、そういえば昭和20年8月15日の北京は日帝支配下にあったはずだと思いつく。そうなのだ、北京は日本占領下にあったのだ。外地でも玉音放送を聞いたというから、北京でもひろひとさんの声を、この石壁の街は聞いたのだろう。

■北京占領下の日本人というとイメージがわかない。 南京と事情が違うし。 北京占領下の日本人で有名人って、立花隆くらいか? 当時2-5歳! 日帝侵略子供である(爆)。 だから、アベ坊ちゃん@口先ウヨよりよっぽど日帝本流ではある。 立花の親御さんは北京で何していたんだ? (立花の本名は橘で、そもそもは水戸の出らしい。 それで、かの橘孝三郎の親戚らしい。 素敵な奥様に言わせれば、へたれは何故ネコが好き?であるから、自ビルまでネコなので、ふんだりけったり、ねこふんじゃったというわけで、もうサンザンである。) 

■日帝支配下の北京大学は「偽北京大学」と戦後は呼ばれているとのこと。その偽北京大学で教官をやり、「"偽"中日文化協会理事」を勤めたのが、魯迅の弟である、周作人。結果的にか、望んでか、日帝占領政策のエージェント役を担わされたことのなる。

■彼は戦後、国民党に捕まって、南京で獄につながれるが、この直後南京を占領した共産軍に「救われ」、北京に帰る。事実上の軟禁生活であったらしい。しかし、過酷になるのは文革時だったらしく、その時期死ぬ。


司令部を砲撃せよ -北京2006 ⑧-

2006年12月17日 07時33分12秒 | 中国出張/遊興/中国事情


ライトアップマオさん ブルジョア的展示@超走資派の賜物

■ブログ検索に「司令部を砲撃せよ」がなかったので、このブログが初登録。

 「司令部を砲撃せよ」

なんて素敵なお言葉。


このお言葉を我らが倭国で実践なされたのが、小泉さんに他ならない。 
もっともマオさんは走資派殲滅の権力闘争遂行のため、「司令部を砲撃せよ」を叫んだが、小泉さんは、旧田中派殲滅のために

 「自民党をぶっ潰す!」

と叫んだ。 この背景には米国・国際金融資本に奉仕するためとはよく言われることである。


最高指導者が1)配下の組織を攻撃する、2)本部に大きな肖像を掲げるという点がマオさんと同じだった。

■平成日本の「文革・破壊」の時期は過ぎた。小泉さんが毛沢東なら、安倍さんは周恩来だろう。爆走する上司・指導者には追従したが、本人は「文革・破壊」の柄ではない。そもそも気質が違う。安倍さんの党最高指導者としての任務は混乱した事態の収拾である。文革後マオさんに追われた走資派の支援と復権に尽力した周に似ている。ただし、中国共産党では文革派をちゃんと追放したのに対し、自民党では「紅衛兵」がそのまま残っている。

もっとも、。彭徳懐である亀井静さんに言わせれば、「周恩来は宰相としての職責を果していなかった。皇帝(毛沢東)が過ちを犯した場合、宰相(周恩来)が諌めるべき、そうしなかった。しかし、諫言していれば、彭徳懐と同じ道をたどっただろう」と。つまり、安倍さんは小泉文革の当事者という恨み節が聞こえる。

現在、密かに小平的曳航を描こうとしているのは平沼赳夫さんである。文革時に「遠島の刑」に会いつつも、マオ退場後復権最高権力者となった。

■あるいは、安倍さんは周という大物実力政治家というより、華国鋒というワンポイントリリーフということなのかもしれない。


あめ屋 -北京出張 ⑦-

2006年12月16日 12時14分34秒 | 中国出張/遊興/中国事情

中関村の家電販売ビルの最上階の飲食街のあめ屋さん。





■教育基本法が改定されるけど、みててごらん、5年後、今ヒッシを演じてハンタイしている狂師ども。 何食わぬ顔して教壇に立っているよ。 戦場でテンノウヘイカのために死ね! から数年後には、2度と教え子を戦場に送るな!ってほざいていた人種。

それが、狂師というものよ。

あわれじゃのー。

●という感情の発露は、おいらの、戦後民主主義そしてその象徴である日教組への、るさんちまんに基づくことはいうまでもない。

その点、このブログは、「ネットウヨ」とはサヨクへのルサンチマンである、という流行の定義の典型的なものであり、底が見え透いたものであることはいうまでもない。 このブログは開設当初から るさんちまん を掲げて発信している。

そういう状況の説明として下記ブログ記事が参考になるかもしれない;
■ 日教組と教育基本法
■ 教育基本法改定反対運動の前面に日教組を出すな

日教組運動がショウケツを極めた時代に子供だった世代で、たぶん左翼きらいで、でも保守やウヨはもっと嫌いで、リベラル・近経でお茶をにごしている人たちが結構いる。彼らは、典型的なうすあまい保守/うすあまいサヨの境界のポジションにいる。 10年後には極右と極左の挟撃されて殲滅されるだろう。

マルクス;これからの極右には必読だ。






猛母参戦 -北京出張2006 ⑥-

2006年12月15日 00時20分25秒 | 中国出張/遊興/中国事情
■テレビねた。 日帝再現に嬉々とする現代中共人。





テレビのチャンネル、中国語だけで60余りある、を廻していたらあった。番組は「日帝侵略軍」物語映画のメイキングもの。つまり、日帝侵略軍」物語映画の製作過程のドキュメント。何より印象的なのは、みんな嬉々として、映像を作っていること。この市白髪あたまの御仁(役者兼演出家なのだろう)が役者に日帝兵士の演技を教え込む。うれしそうに。

■さて、われらが素敵な奥様日常茶漬事 絶滅寸前哺乳類の記録; 2006/12/14 (木) がぁがぁ。が、これまたわれらが深夜のシマネコBlog の赤木センセに宣戦布告してしまいますた。 たいへんです。 せんそーハンタイだす。

●素敵な奥様は、いうまでもなく、たとえイケメンでも私は金のないやつとは暮らしていけません。という「リッチな」状況でブログを発信。お育ちは私のいってた大学はそれとなく、女はつかまえた男の値うちで己の価値が決まる、と非常に有り難い事を教えてくれたのでそこそこの生活はさせてもらってる、リッチな素敵な奥様なのでありんす。

さて、そんな素敵な奥様のこだわりが、公立学校。お金持ちなのに「公立学校」。おいらががきんちょの頃、売文芸人だった西部邁や栗本慎一郎は、照れながらも自慢げに、子供が「精神の貴族」の育って欲しいから、公立学校に通わせているといっていた。(われらが赤木センセは、その売文芸人の「新人」なのです。)

たぶん、素敵な奥様もそういう神経なのだろう。そんな素敵な奥様も「今の総理大臣をみてみろよ、戦犯容疑の孫だぜ、ホンマ、それにすら気がつかないアホは結婚しないでおおいに結構、」という、あの偉大なる赤木センセへのメッセージ。「精神の貴族」さまはお言葉がきつい!

■素敵な一撃; 大東亜戦争美化してるトップの輩は戦時中、お菓子が食べられてたような連中なんだよ

そうなのか。大東亜戦争美化してる「雑民」の輩にもおやつがまわるようにおねがいしよう。

●さて、われらが憧れの素敵な奥様のおじいさまにあらせられましては、日帝侵略軍医殿でありんす。 おいらのような、なんちってウヨにとって、日帝侵略軍医殿の御子孫であらせられるなど、憧れ!憧れ!憧れ!にほかなりませぬ。 たぶん、今に至っては、奥様はお菓子もどっさりお食べあそばされていると思うと、育ちが悪い分、おいらは垂涎が禁じえないのでありんす。

素敵な奥様は、日帝侵略軍医の御祖父が最前線で死んだのは、上層部に「逆らった」から最前線に「送られて」死んだのだという、生き残った同僚の日帝侵略軍医の証言を根拠に主張する。 一方、勝手においらが空想するに、じっちゃん軍医殿は、最前線には傷ついた兵士があふれている、だから、聖戦とかなんとかは度外視して、医者よ、信念はいらない まず命を救え!と思って、称揚として最前線に赴いたかもしれないではないか! そして、上層部に「逆らった」から最前線に「送られて」死んだのだという証言をする、生き残った同僚の日帝侵略軍医たちは死に従容(しょうよう)として赴いた日帝軍医殿に後ろめたさをもったから、そういう「ウソ」をついたのかもしれないと、妄想癖が強いおいらは思う。ある意味生き残った軍医というのは、戦傷・戦病にのたうちまわる兵士への、命と引き換えの、献身をしなかったから、戦後も生き延びているわけであるから。 そういう点から見ても、日本は滅びるべき恥じ多きクニではある。

■それにしても、「こんな国」にお子様をお生みなされ、あまつさえ、お育て申し上げているわれらが素敵な奥様がおっしゃる;「幸せに見えるかもしれない人間達がその裏でどれだけの苦労をして、リスクをとってるかわかって言ってるのかよ」、というのもすごいです。リスクはリターンを求めての決断です。素敵な奥様はどんな「リターン」をご所望なのでしょうか?いずれ滅びるこの国で育つ子供に!

▼「このバカー!」と思ってくだれば、おいらも望外の幸せなり。





愛国者 aigo -北京2006 ③-

2006年12月12日 06時17分09秒 | 中国出張/遊興/中国事情






■中関村に連れて行ってもらいました。中関村は北京の秋葉原みたいところです。家電屋に行きました。10階建てほどのビルで1階から6階までデジタル家電からパソコン部品まで売っていました。画像は愛国者 aigoのブースや製品です。でも、SonyだのCannonだのが卓越していました。それらは中国内で生産されているようです。サムソンも大勢力です。愛国者 aigoは宣伝のほどでもなく、マイナーです。残念。

■ピノチェトが死んだ。マオさんはピノチェト政権を支持していたはずだ。ピノチェト・毛沢東でググッテみても、マオさんはピノチェト政権を支持していたことは出てこなかった。「独裁者」という観点のもののみ。それはそうだけど。

■今回のピノチェト死亡の解説記事で「左翼狩り」なる言葉を見る。初めてだ。ピノチェト軍事独裁政権の「民主弾圧」という言い方ではなく、「左翼狩り」という言い方は何かものすごい視線の転換を感じる。「おやじ狩り」「おたく狩り」に続く「左翼狩り」ってすっかり社会のごみと化したばかサヨクを描いて残酷である。

■さて、深夜のシマネコBlog 赤木智弘さんは、ピノチェトになりたいのだろうか? ピノチェトは上記のごとくサヨクを数千人闇に葬った。その動機はサヨクへのルサンチマンである。 


■現代日本の「既得権益左翼層」もきれいごとばっかり言って、めしを食っている。二度と教え子を戦場におくるな!とかきれいごとを言って、教室で教え子が首つって死んでいるのに日教組のばかサヨ教師は誰も絶望して壁に頭を打ち付けて死んだりしないのである。 昨日も今日もそして明日も元気にめしくって、小腸大腸動きまくりである。そのあげくのはてが、現状の教育の問題(荒廃とは絶対自分たちで認めない)は教育基本法の理念が実現されていないからであり、教育基本法の精神が実現さえされれば極楽天国だとおっしゃるのである。

世の中がどうなろうと、それは憲法と教育基本の理念とは違う、といっていれば済むのである。

■最近の日本で一番の「ピノチェト」系の発言はやはり呉智英センセの「復讐せよ!」だろう。「新聞でもテレビでも識者と称する恥知らずたちが、おためごかしの助言を垂れ流して小銭を稼いでいる。」 これがサヨだ。 きれいごとばかりいって社会を食い物にしているサヨ(含む愚民党(LDP)・バカ政府役人等)に復讐せよ! 

中国猫は支那にゃん

2006年12月11日 21時39分15秒 | 中国出張/遊興/中国事情

宿にて、さび猫発見!


逃げられた。でも植え込みの中にいた。複数の猫がいるようだ。外気は氷点下だとおもう。 寒さと危険を茂みの中でしのいでいるようだ。


この茂みに猫が隠棲しています。 どんなに寒くても中国の猫は不死身だと思う。 猫は七生をもつといわれるが、中国猫は一生で十分。 千代に八千代に生きるのだから。 だって、中国猫は、死なにゃん、というではないか。