日本の未来を切り拓くのは革命ではなくして、維新でなくてはならない。影山正治が『維新者の新條』において述べたその精神である。「明治維新史上、最も涙と詩とに富んでいたものは西郷南洲と吉田松陰であらう。最も涙と詩に缼けてゐたものは岩倉具視と大久保甲東であらう。南洲、松陰の道は維新の道につながり、岩倉大久保の道は革命家の道につながる/革命家は憎しみに立ち、維新者は涙に立つ。革命家は憎悪をもつて斬り、維新者は涙をもつて斬る/その本質において詩人たらざれば眞の維新者たることは得ない」。わざわざ村上一郎が『明治維新史の精神過程』でも取り上げている文章である。「涙と詩」というのは日本の心の源流に触れることである。それによって為すべき目標が見えてくるのである。情勢論ではなく、我が内なる日本が詩となり、それが行動の指針となるのである。影山は常に詩と共にあった。維新者としてアッパレなことであった。敗戦を受け入れたのは、影山に「大神のみこころのまま行くのみと心定めて死を越えむとす」の歌があったからだ。維新者であれば詩人でなければならない。それは日本の文化を体現することであり、そのなかで日本人であることを確認するのである。影山は明治天皇が「ふむことなどかたからむ早くより神のひらきし敷島の道」の御生をお詠みあさばれたのを受けて、「『敷島の道』とは神開きたまひし神の道のことである。歌の道こそは日の本の文の純粋であり根底であるから、この御製は同時に、日の本の文學の根道の根本のありかたをお示し下されたものとして拜されてよいのである」(『日本民族派の運動』)と書いている。今こそ明治維新に続いて維新者の出番なのである。
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