未来の日本を考えるためには、過去のことを知らなくてはならなし。それを教えてくれるのは柳田国男である。しかし、その場合には通り一遍の歴史に触れるのではなく、日本の民衆の実像に迫らなくてはならない。保守はイデオロギーではなく、柳田のそうした謙虚な姿勢から多くのものを汲みあげるべきだろう。柳田は『郷土生活の研究法』において明確に言い切っている。「今日の社会の改造は、一切の過去に無省察であっても、必ずしも成し遂げられぬとはきまっていない。現に今日までの歴史の変化にして、人間の意図に出た者ものは大半がそれであった。復古を標榜した或るものといえども、まだ往々にして古代の認識不足に陥っている。我々の如く正確なる過去の沿革を知って後、始めて正しい判断を下すべしというものは一つの主義である。盲滅法界にこの主義を否認してかかるならまた格別だ。我々は蔭にいて、それが自然の正道に合致せんことを祈るほかはない」。柳田が過去にこだわったのは、民衆の生活を向上させるためであり、失敗の経験を糧にするためであった。そして、核心部分には、死者もまた日本の国土にとどまるという見方があった。子孫の生業を見守り、時には手助けすらするのである。日本人の信仰の根本をしっかりと見据えていたのだった。それを理解するに手段として、柳田は大上段から物を言ったりはしなかった。ありきたりの習俗や身近な道具から説き起こし、日本人の信仰心に結び付けたのである。数少ない日本のオリジナルな思想家として吉本隆明も柳田を一番目に挙げているが、厖大な量のフィールドワークに目を奪われてしまうのではなく、保守思想家としての柳田に、私たちはもっともっと目を向けるべきなのである。
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