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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

朝日新聞を擁護する田原総一朗の詭弁を嗤う!

2014年08月28日 | マスコミ評

ジャーナリストは気配りが一番なのである。主義主張は最初からあるわけもなく、空気を読んで飯のタネにありつければいいのだ。その典型が田原総一朗だろう。9月5日号に掲載された田原の「朝日新聞批判記事にみるナショナリズムの影」では、誰からもクレームがこないような書きっぷりである。見出しとは異なる論調なのである。ナショナリズムの危機を訴えるのかと思ったらば、そうでもなかった。朝日新聞が「誤報」を32年間も認めなかったことや、謝罪がないことには一言釘をさすことを忘れない。それでいて、朝日新聞を弁護している。「私はナショナリズムには拒否反応を覚えてしまう。そして、朝日新聞批判に強いナショナリズムを感じるがゆえに」と前置きしながらも、「朝日新聞よ、頑張れ」と声援するのである。しかし、それは勇み足であることに知っているので、朝日新聞にも注文を付けるのである。慰安婦の問題について「朝日新聞としては、できるかぎり多くの投書を掲載することが読者に対する責任だと思うのだが、この点はどうなっているのか」と苦言を呈したのだ。田原の文章は三つから構成されている。一つは朝日新聞の「誤報」の訂正が中途半端であること、もう一つはナショナリズムには違和感があるということ、さらに、朝日新聞への注文である。論旨が一貫しているようで、その実はまとりがない主張になっている。しかし、よくよく考えてみると、進歩派に身を寄せた議論であるのが分かる。朝日新聞から仕事が来ることも考慮しているのだ。ジャーナリストというのは、そういった連中なのである。商売で書くには儲からなくてはならない。スポンサーがあっての物書きなのである。

  

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