草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日銀のマイナス金利の導入を酷評するだけのマスコミを嗤う!

2016年01月30日 | マスコミ評

日本銀行が昨日になってマイナス金利の導入を決めた。中共の経済が危くなれば、円高にぶれるのは明らかであり、先手を打って機動的な対応をしたことは評価されるべきだろう。世界中がデフレに向かいつつある今、日本が今回の決定をした意義は大きい▼今朝の全国紙の社説は大混乱である。各紙とも株式市場が好感したことを伝えつつも、朝日は「この手法は銀行が金利コストを預金者に転嫁し、預金金利までマイナスにしてしまう可能性がある」と警鐘を鳴らしている。国民を脅かしたいるのである。それでいて欧州中央銀行が2年前に採用して大きな混乱がなかったことも認めており、「銀行が日銀の当座預金に滞留させているお金を、企業への貸し出しに回すように促すためだ」とのメリットも述べている▼読売は「マイナス金利には、民間金融機関に、より積極的な融資を促し、企業の設備投資などを活性化する狙いがある」と好意的に受け止めている。理解に苦しむのは産経と日経である。産経は「金融頼みには限界がある。ましてマイナス金利は、銀行の収益を圧迫するなど副作用も懸念される劇薬だ。実需が盛り上がらなければ、経済の好循環には結びつくまい」と否定的である。日経は一応は理解できるとしながらも、中共をヨイショするのは異常である。「世界的な金融市場の安定に向けた今後のカギは、世界第2位の経済大国となった中国を巻き込むことだ」とまで主張している▼少しまともなのは読売だけだ。ネットなどを通じて情報を分析する能力を、私たち国民一人一人が持つしかないのである。

  

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「俗なるものの背後に聖なるものを仮設」するのが保守だ!

2016年01月30日 | 思想家

日本の人文科学がぱっとしない。滑稽なことにはジャック・デリダやミッシェル・フーコーなどの解説をする学者に限って、政治的には単純な物言いをする。これにはあいた口がふさがらない。高橋哲哉、内田樹らは何の疑いもなく日本共産党の「戦争法案」とのプロパガンダに賛同を示している▼昭和の時代までは日本共産党にインテリは引け目を感じていた。非転向を貫いた宮本顕治のような真似はできなかったからだ。共産主義のイデオロギーが人類に多くの悲劇をもたらしたのに、未だにそれが通用するのが理解できない▼佐伯啓思は『現代社会論』において、ポスト・モダンを商売にする者たちのいかがわしさを批判している。ポスト・モダンは「ソシュールの言語学の行き着いた先」である。「記号的な差異の織り物の産物なのであって、どこにも現前する真理や実在というものはあり得ない」との見方である。つまり言葉によっては目の前に実在する物を表現できないのである。混乱が生ずるのはあたりまえだ▼高橋らがソフトスターリニズムの日本共産党にひれ伏すのは「知の戯れ」に耐えられないからなのである。これに対して佐伯は「現象の彼方に真理を、歴史の彼方に原像を、俗なるものの背後に聖なるものを仮設」してみる。「世界の事象が基本的に反復であり模倣であると知りつつも、この反復の中にあえて真なるものの可能性を見出そうとし、われわれの生に生気を与える生きた解釈をほどこそうと」するのである。知のほのかな渇望にあくまでもこだわるのであり、それこそが平成の保守の立場なのである。

  

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