草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

マルクス主義の宣伝の場となった戦後日本の歴史教育

2022年12月05日 | 思想家

 歴史の見方は一つではない。色々な観点から論じられるべきなのに、戦後の日本ではマルクス主義の影響があまりにも強過ぎた。明治維新についてもつまらない論争があって、講座派か、労農派かで喧々諤々の議論が行われたのである。明治維新は天皇を頂点とした絶対主義権力の樹立であったというのが前者で、ブルジョア革命であったというのが後者であった。そんなことで口角泡を飛ばしていたのである。
 今の共産党に近いのが講座派で、それが二段階革命論の根拠となった。日本では民主主義が定着していないから、そっちが先だというので、社会主義革命は後回しになった。これに対して、旧社会党や新左翼は、すぐにでも社会主義革命を目指すべきとの立場であった。
 マルクス主義の社会発展段階のどこに位置するかで、まったく科学とは無縁な教条的なプロパガンダを振り回したのである。信仰と変わりがない理論を説明するために、事実が歪曲されたのである。
 そもそも明治維新とは、西南雄藩の下級武士を中心にした者たちが、外圧に抗して、国際社会に船出するために、どのように国民国家を建設していくかで悪戦苦闘したのである。この観点に付いては、会津も米沢も大差がなかった。あくまでもどこが主導権を握るかであった。
 明治10年の西南戦争を境にして、武力による反政府運動は下火となり、農民を始めとする民衆が、国民としての自覚で権利と義務を行使するという時代が到来したのである。
 そのスピードをどうするかで、明治政府と民権派は綱引きをしたのである。我らの先人は、民主主義を定着させるために、血のにじむ努力を重ねてきたのだ。
 昭和20年の敗戦によって、民主主義が我が国にもたらされたというのは、あまりにも一方的な意見でしかない。民主主義を通じての社会変革の運動は、先の戦争においても、根本から民主主義が否定されたわけではなかった。だからこそ、東条英機は敗戦前に退陣したのである。
 日本人は、我が国の過去の歴史を学ぶことで、自らのアイデンティティを獲得すべきであり、そのためには、一日も早く反日史観から脱却しなくてはならないのである。


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