目先の現象に追われるのではなく、文明史的な観点から世界を見てみることで、どこに私たちが向かいつつあるのかを知ることは大切である。佐伯啓思が昨日付の産経新聞正論に「100年前と現代、文明の行方は」という一文を投稿。昨年一年間について「きわめて大きな文明の変動が生じているように思われる」と書いていた▼大衆的な情緒が政治を不安定化して民主主義がうまく機能しておらず、グローバル経済が国家間の軋轢を生んでいる。AIや生命科学が目的地をもたずに飛び出したロケットのようにさえ見える。そういった事実を列挙しながら、佐伯は「100年かけて、ファシズムが敗退し、社会主義が崩壊し、そして今日、最後まで残ったアメリカニズムが失効しつつある。われわれはほぼ100年前に戻されてしまったのである」との見方を示したのだ。注目すべきはそれに対する処方箋である。100年前に日本で起きた西田幾太郎ら京都学派の試みを再評価したのだ▼佐伯は『西田幾多郎 無私の思想と日本人』において、西田の「無」について「まずは『無』に帰して、そこから改めて本当の姿が見えてくる」と解釈したのだった。対立と構想にあけくれる世界にあって、佐伯は日本の哲学を正当に評価することを説いているのである。
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