僕たちの世代にとって、国際政治学者の高坂正堯は保守派を代表する論客であった。丸山眞男らの進歩的文化人を向こうに回し、一歩も引けをとらなかった。
高坂の「観念は飛躍するが、現実は飛躍しない」という言葉は、一躍有名になった。最近では高坂の本が復刻されて話題になっているようだが、僕からすれば、もはや高坂は過去の人になってしまった。
高坂は「日米関係と米韓関係がしっかりしている以上、アメリカの核抑止力は作用します。北朝鮮が核兵器を、政治的心理的なものを含め、いかなる形で利用しようとしても、自殺的でしかありません」(『平和と危機の構造』)と書いていたからだ。
平和安全法制の成立によって、かつてなく日米関係は緊密になったが、中国やロシア、北朝鮮の脅威は日増しに高まっている。時代の要請だということで、日中の国交回復に高坂は前のめりになったが、それ以降我が国は中国への属国化への道を歩むように舵を切った。高坂を師と仰ぐ者たちのほとんどは、そのレベルにとどまってしまっている。
本当の意味での現実主義者であれば、米国の核による拡大抑止というのが機能しなくなっている冷酷な事実を直視せざるを得ない。吉田茂を高坂は高く評価したが、経済力などというものは、ある程度の軍事力に支えられなければ、砂上の楼閣でしかないのである。
高坂自身が認めているように、目指すべき国家目標というのは「利益の体系」「力の体系」「価値の体系」であったとしても、今すぐ手を打つべきは「力の体系」であり、それを正面から論じる思想家こそが、今もっとも待望されているのだ。高坂も「軍事力と関係のある領域から棄権を続けることができるかどうかも問題になる」と言及はしていたが、その先に一歩踏み出すことなくこの世を去ってしまったのである。
高坂の「観念は飛躍するが、現実は飛躍しない」という言葉は、一躍有名になった。最近では高坂の本が復刻されて話題になっているようだが、僕からすれば、もはや高坂は過去の人になってしまった。
高坂は「日米関係と米韓関係がしっかりしている以上、アメリカの核抑止力は作用します。北朝鮮が核兵器を、政治的心理的なものを含め、いかなる形で利用しようとしても、自殺的でしかありません」(『平和と危機の構造』)と書いていたからだ。
平和安全法制の成立によって、かつてなく日米関係は緊密になったが、中国やロシア、北朝鮮の脅威は日増しに高まっている。時代の要請だということで、日中の国交回復に高坂は前のめりになったが、それ以降我が国は中国への属国化への道を歩むように舵を切った。高坂を師と仰ぐ者たちのほとんどは、そのレベルにとどまってしまっている。
本当の意味での現実主義者であれば、米国の核による拡大抑止というのが機能しなくなっている冷酷な事実を直視せざるを得ない。吉田茂を高坂は高く評価したが、経済力などというものは、ある程度の軍事力に支えられなければ、砂上の楼閣でしかないのである。
高坂自身が認めているように、目指すべき国家目標というのは「利益の体系」「力の体系」「価値の体系」であったとしても、今すぐ手を打つべきは「力の体系」であり、それを正面から論じる思想家こそが、今もっとも待望されているのだ。高坂も「軍事力と関係のある領域から棄権を続けることができるかどうかも問題になる」と言及はしていたが、その先に一歩踏み出すことなくこの世を去ってしまったのである。