草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

N国党の台頭は「言葉をあやつる」上級国民への反乱だ!

2019年08月17日 | 社会風刺

立花孝志のN国党が国民から一定の支持を得ているのはなぜだろう。あらゆる権威が音をたてて崩れているからではないだろうか。それはまさしく上級国民に対する下級国民の反乱なのである。イデオロギーでまとまっているというよりは、現状を打破したいという怒りがまずあるのだ。山本太郎のれいわ新選組よりも、はるかにラディカルな集団なのである▼知的労働者は支配する側であり、肉体労働者は支配される側であることを問題視したのは、シモーヌ・ヴェイユであった。「事物をあやつる人びとより言葉をあやつる人びとが優位を占めるという状況は、人間の歴史のあらゆる段階にみいだされる。付言すべきは、総体として、祭司または知識人といった言葉の組合せや組立にたずさわる人間が、つねに支配者の側、つまり生産者に対する搾取者の側に立ってきたことである」(『ヴェイユの言葉』冨原眞弓編訳)▼それを意識しているかどうかは別にして、N国党の支持者がNHKに敵愾心を抱くのは、「言葉をあやつる人びと」であり、特権的な地位を甘受しているからではないだろうか。そして、NHKは上から目線で民主主義の意義なるものを説くのである。高給をもらって、庶民とはかけ離れた暮らしをしているくせに、あたかも一庶民であるかのように振る舞うのである。N国党がどこまでの政党になるかは見当がつかないが、下級国民の心をつかみつつあることだけは確かだ。

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菊のタブーに挑戦した者たちが怯えたのは右翼のテロだ!

2019年08月16日 | 思想家

今のところ「あいちトリエンナーレ」であそこまでやっても、森有礼のようなことにはならない。それだけ右翼も温和になったのだろうか。森は欧化主義者ということで、あらぬ疑いをかけられ、大日本帝国憲法発布の明治22年2月11日に国粋主義者の西野文太郎に刺殺されたのだった。当時の新聞が伊勢神宮で不敬を働いた大臣がいたというのを記事にしたことで、森がターゲットにされてしまったのだ▼もう一つ記憶に新しいのは嶋中事件である。昭和35年に「中央公論」に発表された、深沢七郎の小説「風流無譚」が物議を醸し、あまりにも皇室を愚弄した記述があったので、右翼団体に所属していた少年が、中央公論の社長宅に侵入し、家政婦を殺害するにいたった。衝撃的な出来事であったために、中央公論は膝を屈して、宮内庁に謝罪したのである▼津田大介や大村愛知県知事が逃げ回っているのは、右翼のテロを警戒しているからだろう。葦津珍彦はかつて「右翼ハイ・ティーン」という文章を世に問うた。嶋中事件や浅沼稲次郎を刺殺した山口少年のことが話題になっていたからである。少年たちがなぜそのような行動に走ったかを論じたのだ。「現代の頑迷な左翼民主主義のおしつけ教育に対する日本人の大きな反撥の中から生まれて来たものなのだ」と断じたのだった。その教育環境は未だに変わっていないのである。

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早くから日本国憲法のお花畑を見抜いていた和辻哲郎!

2019年08月16日 | 思想家

本当の意味で私たちは戦後から訣別しなくてはならない。敗戦から5年もせずに世界の情勢は一変した。朝鮮戦争が勃発し、北朝鮮の共産勢力が南朝鮮を席巻し、釜山が陥落寸前にまでいたったからである。かろうじて国連軍が食い止めたものの、武力によらずに平和を維持することの難しさを、多くの日本人が痛感した。アメリカも日本弱体化の手を緩めざるを得なかったのである▼そうした現実に直面して、オールドリベラリストの和辻哲郎は苦悩したのだった。『埋もれた日本』に収録された「われわれの立場」を読めば、日本国憲法のお花畑を和辻が見抜いていたことが分かる。だからこそ、「『武力による威嚇』は一層強まり、やがて『武力の行使』に発展して行くであろう。そういう武力に圧迫されながらも、なお依然として、『紛争は武力によらず道理によって解決すべきである』という立場を持続することができるか」との問いを自らに発したのである▼危機が迫っていることを痛感しながらも、国土防衛の組織が整備されていなかったがために、和辻は「防衛の手段は武力のみに限らない、武力的には無抵抗の態度を取っても、人格として全然屈服しないこともできる。それはただ意志の問題、気魄の問題である」と主張したのである。今の我が国には自衛隊がある。精神論ではなく、主権国家として何ができるかなのである。それこそが戦後レジームからの脱却なのである。

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終戦の日に思い起こすべきは「シーンとした国民の心」だ!

2019年08月15日 | 思想家

8月15日の終戦記念日がまためぐってきた。西尾乾二は『国民の歴史』において、詩人の伊東静雄が残した『日記』を引用している。「十五日陛下の御放送を拝した直後。太陽の光は少しもかはらず、透明に強く田と畑の面と木々とを照し、白い雲は静かに浮び、家々からは炊煙がのぼってゐる。それなのに、戦は敗れたのだ。何の異変もおこらないのが信ぜられない」▼西尾は「日本人が歴史にいわば裸身をさらした短い一時期」があったことに注目するのだ。その日を境にして、日本が大きく変わってしまったからだ。もはや過去に戻るすべはなくなり、それ以降の我が国は転落の歴史であったというのだ。西尾は河上徹太郎の「あのシーンとした国民の心の一瞬」(『戦後の虚實』)という言葉にも言及し、「月の光を背にしながら母が玉蜀黍畑の中に立ちつくしていたあの夜のことだ」と書いたのだった▼あいちトリエンナーレで昭和天皇を冒涜するといった展示が行われた。多くの日本国民が怒り心頭に発したが、それは言葉にならない憤怒の情であった。「天皇危うし」との思いは「日本危うし」である。いかに表向きの世界は移り変わろうとも、変わらぬものが日本にはあり、それを再確認したのではないだろうか。「あのシーンとした国民の心の一瞬」は永遠の日本を思い出すことであった。先人たちのかけがえのない体験を、私たちは今こそ思い起こすべきなのである。

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河村市長を悪者にするため憲法学者を動員する朝日を嗤う!

2019年08月14日 | マスコミ評

黒を白と言いくるめるのが日本の憲法学者なのである。今回もまた表現の自由を逸脱するようなことをしでかした者たちを庇うのに必死である。それを利用して朝日新聞が大々的に、世論を自分たちの都合にいい方向に誘導しようとしている。いつものやり方で、国民を騙せると思っているのだ。しかし、そうは問屋が卸さないのである▼朝日新聞デジタルは昨夜「全国の憲法学者91人が共同声明をまとめた。慰安婦を表現した少女像などの展示に反発し、中止を求めた河村たかし名古屋市長らの言動を『表現の自由の重要性について全く理解を欠いたもの』と批判している」との記事をアップした。ここで注目すべきは、ネットで大騒ぎになっている昭和天皇を屈辱した展示物に触れられていないことと、賛同した人数があまりにも少ないことである。いくら左翼であっても、多くの弁護士は背を向けたのである。それほどまでに「あいちトリエンナーレ」を擁護することは難しいのだ▼その声明なるものは、菅官房長官が「事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と述べたことにも言及しており、「表現の自由は、様々な考えの人の存在を前提としている民主主義社会にとって不可欠」と述べているが、「慰安婦を表現した少女像」しか触れていないのは、あまりにも卑怯である。もはや一部の弁護士が大騒ぎをし、朝日新聞がそれを使って、自分たちのプロパガンダを流布しようとしても、それは無理なのである。日本人の大半はネットで情報を集めているのだから。

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危機を迎えている香港の今に無関心であってはならない!

2019年08月13日 | 国際問題

今香港が深刻な危機を迎えている。香港の航空当局は昨日午後、大規模なデモが香港国際空港で続いているとの理由で、昨日発着する全ての便の欠航を決めた。中共の人民解放軍が鎮圧に繰り出すのは時間の問題ではないだろうか。香港警察の手で収拾することは困難になってきており、習近平指導部はタイミングを待っているだけなのである▼ネットの動画には、香港警察が学生たちをたたきのめし、無差別に襲いかかる光景がアップされている。失明した女性医療従事者の姿は、あまりにも衝撃的であった。一国二制度のもとで、香港が自由世界に開かれた窓であったのは、もはや過去のことになりつつある。巨大な中共の暴力の前に膝を屈するのか、それとも自由のために命を捧げるかの二者択一が迫られている。最終的には香港の人々が決めることだが、ネットを通じて、世界中が彼らを支援している▼天安門事件から30年が経過したが、あのときはネットが普及していなかった。戦車の前に一人で立ちはだかった人の写真が世界中に配信された。今度は違う。人民解放軍の蛮行をリアルタイムで私たちは見ることができるのだ。全体主義国家中共がどこまでやるか。私たちは時代の目撃者にならなくてはならない。そうでなくても中共は、ウイグルやチベットで公然とジェノサイドを行っているのだ。中共の暴虐を断じて許してはならないのである。

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プロパガンダたれ流すマス・メディアと民主主義の危機!

2019年08月12日 | マスコミ評

日本の民主主義の根本が揺らいでいるのは、マス・メディアが信頼を失ってしまったからだ。NHKや朝日新聞、さらには共同通信社の責任は重大だ▼佐伯啓思は『現代民主主義の病理[戦後日本をどう見るか]』において、W・リップマンについて言及し、「彼はジャーナリズムが関与する『世論』こそがデモクラシーの決定的ファクターだと考えた」と指摘するとともに、「比較的見通しのよい討論によるデモクラシーと、複雑怪奇な社会を媒介するものはマス・メディアにほかならないからであり、こうして提供される討論の結果(あるいは討論しないことの結果)が『世論』にほかならないのだからである」と論評したのだった▼私たち庶民が政治的な問題について語るためには、それなりの知識と、様々な見方があることを知らなければならない。そうした情報をもたらしてくれるのが、マス・メディアやジャーナリスト知識人の本来の役割なのである。しかし、それはあくまでも理想であり、現実はほど遠い。だからこそ佐伯は民主主義の危機を叫ぶのである。今の日本の新聞やテレビは一方的な政治的主張のプロパガンダと化しており、佐伯は「イエスかノーか、悪いのは誰か」と決めつける報道姿勢を批判したのだ▼マス・メディアの暴走に水を差すのがネットだというのは、あまりにも皮肉である。歴史や伝統を踏まえて、名も無き庶民が培ってきたコモンセンスが、かろうじて民主主義を支えているのである。

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今こそ自由を守り抜こうとする香港の人々の後ろ盾に!

2019年08月11日 | 国際問題

香港での民主化を求めるデモは昨日も1万人が参加して行われ、警察との小競り合いが続いている。当初は中共への容疑者引き渡しをめぐる「逃亡犯条例」の改正をめぐる抗議であったが、今では「自由」を守り抜こうとするデモに変わってきている。習近平中共指導部は、香港の騒ぎが全土に飛び火することを恐れており、必ずや人民解放軍の戦車で蹴散らそうとするはずだ▼田中美知太郎は『直言、そして考察ー今日の政治的関心』において、昔のギリシャ人が理解した「自由」について言及している。「まず国全体が他の国に支配されていない自由独立の国であること、そして国内においては一党一派の直接支配ではなくて、法が支配していること」▼香港は一国二制度ということで、1997年に英国から中共に返還されたのである。その約束が履行されないから、香港の人々は怒っているのだ。また、中共に批判的な政党や個人は選挙に立候補できなくなっている。中国共産党による香港支配が強化され、「法の支配」も危うくなっているのだ。我が国ではあたりまえのことが、あたりまえでなくなりつつあるのだ。私たちも他人事ではない。今の香港、明日の台湾といわれているが、東アジアが全体主義国家の手中に落ちれば、それこそ日本は国家存亡の危機を迎えることになるからだ。私たちは香港の人々の後ろ盾にならなくてはならないのである。

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マスコミは天皇冒涜記事にせず 10句

2019年08月10日 | 川柳

マスコミは天皇冒涜記事にせず

マスコミの火消し許さぬネットかな

国民の怒り沸騰ネットでは

テレビとか新聞の嘘明らかに

反日の朝日お抱え津田大介

元自民大村恥を上塗りす

憲法の一条無視し偉そうに

津田や東愉快犯です度胸なし

言論を妨害するくせ被害者に

津田大介動画拡散立場なし

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今の日本の左翼は暗い情念としてのラジカリズムと無縁だ!

2019年08月10日 | 思想家

今の日本の左翼は中共、韓国、北朝鮮の手先となっている。香港の現状や、台湾をめぐる攻防を直視すれば、それが全体主義国家に加担することは明白である。多くの日本人から、彼らが内なる敵と呼ばれるのは、それなりの理由があるのだ。あいちトリエンナーレで、津田大介が愚かなことをしでかしたのもまた、日本を貶めるためであった▼日本的なラジカリズムを左翼が体現した時代があった。三島由紀夫は『林房雄論』においてそのことについて触れている。「かつてのマルクス主義への熱情、その志、その“大義”への挺身こそ、攘夷論と同じ、もっとも古くもっとも暗く、かつ無意識的に革新的であるところの、本質的原初的な“日本人のこころ”であった」▼それは大義のために身を捧げる滅私の精神であり、明治維新を実現した源泉であるばかりか、一時期の全共闘運動を支えた心情とも相通じていた。だからこそ、三島は東大全共闘と討論をすることができたのだ。三島は「知識人の自惚れというものの鼻をたたき割ったという功績は絶対に認めます」と全共闘を持ち上げたが、知のヒーラルヒーの解体ということでは、両者は一致していたのである。すでに日本の左翼は暗い情念としての「日本のこころ」を失っており、単なる軽薄なファッションでしかない。今後変革の原理として登場してくるのは、神風連のような反グローバリズムではないだろうか。時代は目まぐるしく変わりつつあるのだ。

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