昨日はなぜかやたら疲れていて、夕飯を終えると、もはや無意識にベッドに倒れこむようにして寝てしまいました。
いろんな夢を見て目が覚めると21時になっていました、2時間半ほど寝たようです、これで楽になり風呂に入ってから日記の転記をはじめました。
今は1977年です、27歳大人になりました、色っぽい話、艶っぽい話、友達の送別会をするために飛び込みで料亭に行ったら、案の定、芸者は全て予約でいない
「年寄りでもいいから」と頼み込んだら40過ぎの芸者がいて来てくれた。
こっちは20代3人だから母子で飲んでいるような感じだったが、店が気を使ってくれて、30歳くらいの芸者が空いたからと言って交代してくれた。
この芸者が滅法明るい人で、歌が大好きで最後は大合唱になり、帰り際に店から連れ出して喫茶店で酔い覚ましのコーヒーを飲んで話をしていた。
翌日、スーパーのテナントで仕事をしていたら、なんと彼女が5歳くらいの子供連れで買い物に来てびっくり
お互いびっくりして言葉も出なかった、どちらも夜の顔と昼の顔が違いすぎて
同い年の従兄弟や同級生、妹も結婚して、また同級生の女子は子供を連れて歩いているのを見て、いよいよ自分にも結婚という焦りが出てきたころだった。
すれ違いみたいな男女関係が続いていて特定のステディはいなかったが、ちょこちょこ・・・遊びはあったようだ
というのは、自分では忘れていたが日記にはしっかり書いてあり、それを見て当時を思い出した次第であり、年相応のことはしていたのだと少し自信になった。
結局、この年の秋に女房殿と出会って、翌年結婚したのだった。
この年は仕事の上でも大きな転機があり、我が家としては父の飛躍の年であり、それは多難な年でもあったのだ
私が結婚を急いだ原因の一つは、母が病弱で松本の大学病院に長期入院してしまい、また一昨年に妹も結婚、弟は東京の大学に入学して、我が家は父と私の二人だけ
それなのに商売の規模が3倍にもなり、仕事が終わると二人で毎日、ホットプレートでキャベツと豚肉を焼いて食べる生活で、うんざりしていたのだった。
まさに現れた女房殿に、父は私以上にラブコールを送ったのだった。
めでたしめでたしの結婚とも言えなかったが、まあ今日まで何とか一緒にいるのだから、それはやっぱりめでたいのだ。
今思うと、その頃の自分はけっこうハチャメチャな生活を送っていた、すべて日記を今になって客観的に見ることが出来るからわかったことだ。
将来的な定まった夢や計画など持たず、一か月のうち半分以上は麻雀にうつつを抜かし、それも徹夜麻雀が多く、その家で泊まってくることも度々
結構みんなに迷惑をかけていたのだ、その頃はたしかに麻雀はブームだったが
翌日休みの日は朝6時まで打ち続け、家に帰ると昼まで寝てからパチンコ、その足でまた麻雀に行く
平日は深夜2時3時まで打って帰宅して3時間4時間寝て仕事を始める、と言った状況で、とても仕事に身が入る余地など無かったのだ。
私の人生の失敗は、そのころであらかた決まったようだ、そのくせ自意識が強くて仕事は結構やっていたつもりでいたから、意見する父としょっちゅう対立していた、今振り返ればまことに愚かなことだったのだ。
仕事はダメ人間だったが、遊び友達には恵まれていた
ゆえに仕事がダメだったとも言えるが、面白おかしく生きた人生だったともいえる、その天罰を受けても仕方がない
あらためて日記で振り返る自分の人生は、小説を読んでいるような面白さがある。