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光秀謀反の本能寺なーんちゃって⑱

2021年02月23日 19時19分33秒 | 光秀の本能寺
光秀謀反のあと丹波亀山城を託されたが、秀吉方の中川清秀が攻め入る直前に柴田勝家を頼って越前に匿われた京極高次は
岐阜(稲葉山)会議で秀吉の気遣いで許され、柴田勝家の士として越前敦賀にいた
ところが越中富山で勝家の与力、佐々成政が上杉勢に攻められて討ち死にしたため俄に柴田勢が慌ただしくなった
前田利家勢と佐久間盛政勢が氷見、高岡で防御戦を張って越後上杉勢に備えた
しかしそれぞれが2000程の兵なのに対して、上杉方の名将直江兼続は飛騨勢合わせて1万の兵を二手に分けてそれぞれの正面に陣をひいた
柴田勝家は自ら1万の兵を引き連れて応援に向かったが、手薄になった敦賀の玄蕃尾城からどさくさに紛れて高次が脱走した
気付いた城の兵は驚いて、50騎程で直ちに追走したが夕暮れ時で高次はなかなか見つからない
しかし闇の中に馬で走る数騎を微かに認めて追いつき「高次か?」と槍を構えて追いすがると、相手も槍を向けてきて戦いになった
しかし相手方は数騎、柴田勢は50騎近いのでたちまち高次らしき兵を組み敷き捕らえた、一人には重傷を与えた
「高次はいない、どこに逃げた!」と問い詰めると、それは若狭小浜後瀬山城の丹羽長秀の武士であった
この一件はたちまち丹羽長秀の耳に入り、柴田の兵が越境してきての狼藉だったので逃げ去った柴田兵を差し出せと迫った
しかし柴田勝家は越中に向かって進軍中でいないため敦賀からは明確な返事が無かった
丹羽は怒って安土の織田信忠にこの一件を知らせて、柴田兵の引き渡しを命じて欲しいと頼んだ
ところが信忠は股肱の老臣である柴田勝家を絶対的に信頼しているので逆に「長秀よ、勝家が上杉征伐に忙しいときにこのような些細なことで事を荒げるとはなにごとぞ、若狭領に高次が入ったのに捕らえぬ事こそ重大だ」
と叱った
長秀は主君の言葉故に我慢して引き下がったが内心穏やかではなかった、この一件が長秀をこのあと秀吉に近づく一因となったのだ
当の京極高次は、秀吉の奥方ねねの兄、杉原家継が守る福知山城に逃げ込んだ
高次が来ることは秀吉の使いから聞かされていたので
訳がわからないまま2~3日匿った上で命に従い姫路城に送り届けた
どうやら高次の脱走は秀吉と示し合わせてあったようだ

「それにしても京極高次とは表裏多き男よ、恥というものを知らぬのか、お市様の情けで命を助けられながら裏切るとは」
「さよう明智に与したと思えば武田元明を犠牲にして元明の妻であつた妹を我が殿に献上しながら自らは柴田様を頼る、
取り立ててもらったらまた我が陣営に逃げてきた
一体何を考えているのか? これではまた我らをも裏切るであろうよ」

秀長の腹心同士の話をたまたま聞きつけた城主の羽柴秀長が二人を諭した
「高次は我らとは比べられぬ高貴な出自じゃ、足利尊氏と共に幕府を開いた近江源氏の統領佐々木道誉様を祖としておる
お市様が嫁がれた浅井様もかっては若狭の守護京極家の家臣であった、その浅井が反乱して京極並びに京極の同族の六角から領土を奪ったのじゃ
それが為、高次の代には浅井の人質とされて小谷城で少年時代を過ごし、昔の家臣にひれ伏す生活
成人しても数百石の捨て扶持で、妹を献上してまで生き抜かなければならぬほどに落ちぶれた
自尊心高きその心の内は水呑み百姓の出のわしには理解できん、丹羽様が治めている土地は全て高次が受け継ぐ筈だつたのだ、平穏であればな
お市様に目をかけられたからと言って、高次は親しみを覚えたわけではない、お市様も仇の浅井の者にしか見えなかっただろうよ
今の高次にとって織田家中で利害関係が少ないのは兄者だけであろう。 兄者もすっかり竜子殿にまいっておられる
高次のお家再興の足がかりが我が羽柴の拡大にかかっている、柴田の元に走ったのも、今またここに来たのも兄者の指図であろう
高次はこれからも何かと役に立つであろうよ」

織田信忠は心安まらぬ日々を過ごしていた
父信長は京や安土にどっかりと腰を下ろして、各方面の戦況を聞いては都度新たな指示を出すのが日課であった
しかし信忠があとを継いでからというもの次々と事件が起きて休まるときがない
弟、信雄が徳川に走り、引き渡せと言っても言うことを聞かず逆に攻め寄せるという噂さえおこっている
尾張との国境では織田信孝勢と徳川勢が一触即発の体であるし、越中は上杉景勝の軍に攻められて佐々は戦死して富山城をとられた
柴田勝家が富山に向かってもう大戦争の様相なのに、越前と若狭の丹羽長秀とで一悶着がおきてしまった
京極高次は丹波に逃げ込んだらしいが、行方不明になっているし、明智光秀の行方も知れず、毛利に逃げ込んだ可能性が高い
安土城は御殿は出来たが、いまだ天守が完成せず不測の事態が起きれば逃げこむ先さえ危うい
700万石の領土を受け継ぎながら大半は羽柴、丹羽、柴田が握っていて信忠自身の直轄領は美濃と京の一部、近江の一部だけだ
兵の数では羽柴や柴田の4万とあまり変わらない、あとは自分に従う滝川や蒲生等の戦力が頼みなのだ
こうして改めて考えると、自分がいかに危うい立場であるかわかってぞっとするものを感じる昨今なのだ

いざというとき羽柴や丹羽や柴田は駆けつけるのか?彼らの忠誠心は自分い対してあるのか? 信雄は敵対したし信孝だってわからない
信忠は天下人の誇りだけで君臨しているが、心細さもあって時には政権を投げ出したくもなるのであった
父、信長の偉大さを思い知らされているのであった












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