明智の軍勢2万の先鋒が姫路に近づいた、物見の者が調べてみると空き城どころか宇喜多の兵が守っていることがわかった
しかも上方から羽柴小一郎が大軍で姫路方面に向かっていることもわかった
これでは姫路の城を攻める余裕などない(今の大きな姫路城よりはるかに小さい規模だが)
だが攻めなければもはや2万の大軍を維持することができなくなる、頼りは毛利軍が宇喜多の居城岡山を攻撃してくれることだ
謀将宇喜多直家が正月に死んで、息子の秀家はまだ10歳くらいの童だ、今の宇喜多は弱い、光秀はそう見ている
そうすれば姫路の宇喜多勢は浮足立って逃げるかもしれない、それを期待して3日以上も前に使いを出したが返事がない
もはやそれを待つ余裕はない、光秀は攻めることを決断した、まずは1万の兵で城を取り囲んだ
5000を羽柴小一郎のやってくる方面の有利な高台に配置した、自分は5000の本隊を率いて小高い山に陣を張った
見たところ城兵は3000ほどだ、さほど三層の天守があるが堅固な城でもないようだ、ここは一気に攻め落とすのが賢明だ、居城が無くてはどうにもならぬ
まずは姫路城を取って毛利と連携して宇喜多を滅ぼす
そうなれば、我らは宇喜多の領土に加えて播磨も手にする
毛利の最前線として大坂を狙う
信長様を討った為に土佐の長宗我部元親殿の四国平定は間もないであろう
長宗我部殿も我らの味方となり毛利、長宗我部、明智の大勢力となって織田信忠と互角の戦ができることになる
姫路城は、かっては播磨の大名小寺氏の居城だった、それを家来の黒田氏が奪い、黒田官兵衛が秀吉に属したとき譲った
秀吉は平屋の館を大改修して三層の天守の城に改築したのである
3000の兵がこもる城は光秀が思ったより堅固であった
ところが翌々日には羽柴秀吉の大軍が近づいているとの報告が入った
高山右近、池田勝入が先陣で5000、秀吉が1万、尼ヶ崎には織田信孝が数千で本陣としているという
さらに岡山から宇喜多の本隊5000が姫路の救援に向かっているとの情報も入ってきた
悪いことに毛利の軍勢は動く気配がない、しかも毛利と秀吉が同盟を結んだと捕虜の口から聞いた
背後から宇喜多の8000、後ろから羽柴秀吉22000、こちらは20000、
数的には不利とはいえないが挟み撃ちの状況は絶対的不利だ
光秀は全軍を四つに分けて秀吉に備えた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ef/f2927a43a113206c98115836af8802ea.jpg)
作家の有吉佐和子さんが話しておられたことが、おほろげながら頭に残っています。
歴史は点でしか残っていないが、その点と点を繋ぎ想像力を膨らませて線にして
豪華絢爛に書くのが小説家だ・・・。というようなことをおっしゃっていました。
まさにその通りですね。現代と違って戦国武将が話した言葉が残っているわけでは
ありませんものね。yottinさんの短編を読ませてもらって、作家顔負けの非凡なものを
感じます。「おぬし、ただ者じゃないぜよ」です。(失礼)私が抱いた印象です。
続編を楽しみにしています。
そのようにおっしゃっていただき恥ずかしいばかりです
なんの取り柄もない男が趣味的に空想にふけっているだけなのですよ
でもこの時間が今は一番楽しいのです
書いていると秀吉や光秀が頭の中で会話を始めるのです
これは面白いですよ
小説ではなく私的な心のうちや思いは書き残しておきたいです
ライフワークは除籍謄本で調べた先祖の点を束ねて200年間のルーツのまとめ
有吉さんの「助左衛門四代記だか三代記?」か、あんな書き物にしたいと思っています