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光秀謀反の本能寺なーんちゃって⑮

2021年02月20日 19時13分37秒 | 光秀の本能寺
噂の域を出なかった織田信雄の徳川領への逃避が定かになったのは1582年の師走のことであった
複数の織田の忍びから報告があった、それによると織田信雄は家康を頼って三河安城から目と鼻の先の岡崎城へと僅かな家臣と逃れたのである
信忠もうかつと言えばうかつだった、まさか信雄がこのような大それた事をするとは思わなかったからだ
信雄はどちらかと言えば穏やかな性格で闘争心は薄い方である、一方同年齢だが身分が低い側室から産まれた織田信孝は気性が激しく兄弟で一番信長に似ていた
信忠はいずれ信雄を許して、30万石ほどでしかるべき土地を与えるつもりで居たのだが小心の信雄は三家老を誅されて自分の身の不安を感じていた
しかも信忠は信雄と犬猿の仲であった信孝の尾張に信雄を住まわせて監視させたから尚更身の危険を感じたのであった

信雄は信長の生前、何度も徳川家康とは会い、話しをしたこともある
戦場で共に戦ったこともある、父信長の陰で目立たぬようにしていた家康であったが信雄は一目置いていた
(頼るなら家康だ)そう思った、しかも目の前に家康の領土があるのだから絶好のチャンスであった

あきらかになった以上、織田宗家(織田信忠家を今後、そう呼称する)は見過ごすわけに行かなくなった
だが徳川家康はいまも同盟者であると疑いもしていないから、ことは簡単に解決すると思っていたのだ
ところが織田宗家の使者が会談場所の岡崎を訪ねると、半月前にアポを取ったにも関わらず家康は駿府で北条家の重臣と会談で留守という
代理として家老の石川数正が応対したので、信雄を引き渡すよう求めたところ「殿の返事でござる、唐の国のことわざに『窮鳥飛び込めば猫もこれを救う』と申す、家康も信雄殿より頼られた以上はこれを護るなりと申された
従って信雄殿は当家で責任を持ってお預かりいたすからご安心召されよ」
織田宗家の使者は驚いて
「なんという物の言いぐさでござるか、これは織田家中の問題であって徳川殿には関係ござらん、ただちにお引き渡し下され!」
「いや!三河武士は殿の命とあらば直ちに腹をかっさばく覚悟でござる、殿申されたことを家臣が覆すなどありえません」
「なんじゃと!徳川殿の家臣と申すが、徳川は織田宗家の家臣である無礼であろう、直ちに命を受け容れよ」
使者は言ってはならぬ事を言ってしまったことに気付かなかった、石川数正の表情が変わった
「無礼とはどの口が申しておるか! いつから我が殿が織田の家臣となったか!無礼はそちらでござろう、早々に立ち去れ、さもなくば・・・」
脇差しに手をかけて見せた
「おのれ!織田宗家に手向かうと申すのだな、このこと安土に戻って上様に申し上げる、首を洗って待たれよ!」
「さればつぎにお会いするのは戦場でござるな、あいわかった、そちらこそ首を洗ってまたっしゃい」
織田宗家の使者たちは顔色を変えて馬を飛ばして戻った
使者が帰ると襖が開いて家康が入ってきた
「数正、敵は見事に腹を立てて帰ったの、これで面白い事になったぞ、われらもいよいよ織田との腐れ縁を切ることが出来る
甲州、信濃の大半を得て上杉、北条とも和睦したからには我らがこれから得る土地は織田の領土じゃ、心してかかれ
準備を整えて3月早々には尾張、美濃に攻め込むぞ、信忠など信長様に比べれば凡将じゃ、先陣の後に織田信雄の旗を立てよ大義名分がつくであろう
我らの出陣は織田家内紛解決のための手伝いとすれば良い」
今や信濃の木曽郡の木曽氏、伊那の毛利氏も徳川に臣従して、高遠から上田平、佐久までも徳川が押さえていた
かっての武田氏の領土をほぼ手中に収めた上にかっての今川義元の駿河、遠江、三河100万石も家康のものだ
ゆうに200万石にもなって関東の王者北条家と肩を並べるほどになっていた、しかも家臣団は結束固い戦国最強の三河武士だ
数が多いだけの織田宗家などに負ける気などしない、ただ畿内から西に展開している羽柴秀吉が気になる
いまや織田家臣でもっとも怖い存在である、それに野心家の黒田官兵衛が気味悪い、さすがの家康も官兵衛の腹が読めない
だが家康の感では素直に織田宗家に従う様な羽柴秀吉ではない気がする,(腹に一物)ある、織田宗家がどう転ぶかは秀吉にかかっている気がする
しかし羽柴勢が尾張にまで出てくることはあるまい、毛利との戦は長引きそうだ兵の半分は毛利にあてるしかあるまい
そう考えると少し安心出来る(織田攻めはうまくいくであろうよ)

その秀吉はすでに信雄が家康の元に逃げたことを織田宗家より先に知っていた
そもそも、それを演出したのが秀吉と官兵衛のコンビだったのだから
「信雄をうまく載ったものよ、これほどまでにうまくいくとは予想以上の出来じゃぞ官兵衛」
「はっはは これからが肝心でござるぞ殿、おそらく徳川勢は尾張と信濃の二方向からゆっくりと時をかけて信忠の実力を測るのでは
我らが毛利に対峙する間は信忠も我らに応援を頼めませぬ、勝家の北陸勢も上杉に手を焼いていてこられませぬ
若狭衆、越前府中、近江、尾張、伊勢、美濃の兵でやるでしょう
それでも5~6万は動員できましょうな、徳川はせいぜい3万というところでしょうか、だが親戚となった北条の援軍もあるやも
われらは織田と徳川の痛み分けをゆっくり見させてもらいましょう、いずれ漁夫の利が転がり込むやも知れませぬな







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