毎朝何と贅沢なことかと思います.我が家の目覚ましはうぐいすの声.春告げ鳥の朝告げです.今年は暖冬のせいか、例年に無く早い時季にまだ練習中(?)のあの、「ちょッちょ、ちょッちょ」の声に驚かされました.今ではすっかり上手になっています.朝方の青空に白梅にうぐいす、これはきれいです.
石段を上がってくる途中には、沈丁花が独特の香りを放っています.沈丁花の花びらは、形も時季も違うけれど、くちなしを連想してしまいます.少しアイボリーがかった白さと厚みの所為かもしれません.白と紅をさしたのと二本並んでいます.香りに誘われて寄り道をしてしまいます.石段を登りきった所の万作の黄色い小さな花も、通りすがりの挨拶友達、「来たよ来たよ、春が来たよ」と語りかけます.蕪村の句ではありませんが、春の花は白と黄色です.霞のさくらと黄色の菜の花!それにまあるいお月様!
先日ちょっとご紹介した中田先生のご本を読んでいます.「この世はバイナリー!」 これは説得力のあるお話です.私達が日々出来ること、それは時々刻々の選択のみ.そうして長い進化を生き抜き、現在を手にし、そしてまた未来を得ようとしています.マクロビオティックの食の基準は、どうして来たかという過去と、どんな風になりたいかという未来、つまり進化です.進化は毎日の環境の傾きと自分の選んだ自分の傾きによって成し遂げられました.桜沢先生が私達マクロビオティックの徒の手元に引き寄せて下さった易も、当にバイナリーの変化、そうであったかそうでなかったか、コインの裏と表、陰と陽です.生物は刹那刹那いちかばちか、未来を賭けたギャンブルをしているともいえます?最先端のコンピューターもオンかオフのバイナリー、宇宙は創世記以来バイナリーシステムだったのです.
私達日本人は考え違いをしているように思えてなりません.特に子供の教育で.勿論「幸せに正しく平和に!」と願います.でもそれは現実的な「どうすればそうなる」という手段を持った目的ではありません.願ってもそうなるかどうかはわかりません.教育は実験ではありません.その子の一生を実験にしては取り返しがつきません.目の前にいる子供の教育という現実の目的は、当然「親から独立した人間の大人を作ること」です.人間の大人とは生物として生きる力を持った上に社会の構成員でなければなりません.
教育の理念と現実の子供の教育とは違うのです.理念は教師の精神生活のためにあるのであって、子供の現実のためにはありません.理念は二者択一の前には無力です.例えば、拉致被害者の現実と平和(?)の理念と.私達はどうしようというのでしょうか.現実は常に、その選択をするかしないかのバイナリーであるという意識を、平和維持という現実と教育という未来にも取り戻さなければならないと思います.横田めぐみさんも子供の教育も実験であってはならないのです.一秒一秒人生の岐路に立っています.
中田先生の人間の脳に関するご本を読んで、私達生物が立脚している力の作用、つまり進化の原理を改めて考えてしまいました.教えたからといってうまくいくとは限りませんが、少なくとも現実がバイナリーの原則に則って進んでいくことを子供達に教えなければならないと思います.その時その時を真剣に選び取っていくこと、その選択が重大な事態を引き起こすこと、自分に子供にいつも言い聞かせて暮らすこと、力を尽くして運命を享受すること、他に何があるでしょうか.大人が手本を示すだけ.学びは真似びです.
石段を上がってくる途中には、沈丁花が独特の香りを放っています.沈丁花の花びらは、形も時季も違うけれど、くちなしを連想してしまいます.少しアイボリーがかった白さと厚みの所為かもしれません.白と紅をさしたのと二本並んでいます.香りに誘われて寄り道をしてしまいます.石段を登りきった所の万作の黄色い小さな花も、通りすがりの挨拶友達、「来たよ来たよ、春が来たよ」と語りかけます.蕪村の句ではありませんが、春の花は白と黄色です.霞のさくらと黄色の菜の花!それにまあるいお月様!
先日ちょっとご紹介した中田先生のご本を読んでいます.「この世はバイナリー!」 これは説得力のあるお話です.私達が日々出来ること、それは時々刻々の選択のみ.そうして長い進化を生き抜き、現在を手にし、そしてまた未来を得ようとしています.マクロビオティックの食の基準は、どうして来たかという過去と、どんな風になりたいかという未来、つまり進化です.進化は毎日の環境の傾きと自分の選んだ自分の傾きによって成し遂げられました.桜沢先生が私達マクロビオティックの徒の手元に引き寄せて下さった易も、当にバイナリーの変化、そうであったかそうでなかったか、コインの裏と表、陰と陽です.生物は刹那刹那いちかばちか、未来を賭けたギャンブルをしているともいえます?最先端のコンピューターもオンかオフのバイナリー、宇宙は創世記以来バイナリーシステムだったのです.
私達日本人は考え違いをしているように思えてなりません.特に子供の教育で.勿論「幸せに正しく平和に!」と願います.でもそれは現実的な「どうすればそうなる」という手段を持った目的ではありません.願ってもそうなるかどうかはわかりません.教育は実験ではありません.その子の一生を実験にしては取り返しがつきません.目の前にいる子供の教育という現実の目的は、当然「親から独立した人間の大人を作ること」です.人間の大人とは生物として生きる力を持った上に社会の構成員でなければなりません.
教育の理念と現実の子供の教育とは違うのです.理念は教師の精神生活のためにあるのであって、子供の現実のためにはありません.理念は二者択一の前には無力です.例えば、拉致被害者の現実と平和(?)の理念と.私達はどうしようというのでしょうか.現実は常に、その選択をするかしないかのバイナリーであるという意識を、平和維持という現実と教育という未来にも取り戻さなければならないと思います.横田めぐみさんも子供の教育も実験であってはならないのです.一秒一秒人生の岐路に立っています.
中田先生の人間の脳に関するご本を読んで、私達生物が立脚している力の作用、つまり進化の原理を改めて考えてしまいました.教えたからといってうまくいくとは限りませんが、少なくとも現実がバイナリーの原則に則って進んでいくことを子供達に教えなければならないと思います.その時その時を真剣に選び取っていくこと、その選択が重大な事態を引き起こすこと、自分に子供にいつも言い聞かせて暮らすこと、力を尽くして運命を享受すること、他に何があるでしょうか.大人が手本を示すだけ.学びは真似びです.