わが町平戸市田平町の国道沿いに八幡様があります.子供の頃にはこの八幡様のお祭りともなると、白い御神馬を含めた行列がありました.私の祖父もフロックコートに山高帽で馬にまたがり行列に加わったものです.でも段々農耕の機械化が進み馬がいなくなって途絶えてしまいました.最後のほうは良い馬がいなくて行列も大変になったらしく、祖父の落馬を案じるつぶやきを思い出します.
八幡様はやはり勇ましいお祭りが似合いますよね.国道で境内を分断された八幡様ですが、国道下には土俵があって今でも奉納相撲の大会は続いています.そして八幡様といえばいちょうの木!!我らが八幡様にも国道を挟んで上下にそれぞれ鳥居がありいちょうの木がそびえて鎌倉幕府の実朝公に思いを馳せるというわけです.いま黄色に染まった葉が散り敷いてそれはきれいです.国道を通るたびに冬を迎える季節を感じます.
境内を横切るしかなかったのかもしれませんが、人間というものは自分の都合で勝手なことをしますよね.こうしたお宮がわが町にはもう一つあります.八幡様の北西方向にある熊野神宮です.こちらの一の鳥居は海中に立っていました.それからお社までに鳥居が二つありました.それが埋め立てられるやら住宅が押し入るやらで、昔の姿はもうありません.雑然として境内などはもう感じられなくなりました.不敬な人間どもの仕業に呆れておられるかもしれません.
平戸も松浦水軍の地、熊野神社があり勇壮な八幡様がありで、みな平戸瀬戸に大鳥居を向けていましたが、人心の移りは抗い様もない事実で昔の人の思いに心を寄せる人も少ないのでしょうね.でもイチョウの大木は昔も今も同じように見つめています.鶴岡八幡宮の大銀杏も同じなんだろうなと思うこの頃です.まもなく年の瀬、イチョウの木もすっかり葉を落として厳しく雄々しい姿を見せてくれるだろうと思います.
イチョウの木でもう一つの思い出は、佐世保に住んでいた頃見た『しろひげ太郎』と呼ばれる楠蚕です.借家の庭にあったイチョウの大木に住んで(?)いました.蛹の季節になって移動するあの素晴らしい虫の姿は今でも目に焼きついています.毛虫はあんまり近寄りたくありませんが、この楠蚕と田んぼのあぜ道でよく会った可愛らしいマルチーズのような小さい名も知らぬ毛虫を見るのは好きです.
八幡様はやはり勇ましいお祭りが似合いますよね.国道で境内を分断された八幡様ですが、国道下には土俵があって今でも奉納相撲の大会は続いています.そして八幡様といえばいちょうの木!!我らが八幡様にも国道を挟んで上下にそれぞれ鳥居がありいちょうの木がそびえて鎌倉幕府の実朝公に思いを馳せるというわけです.いま黄色に染まった葉が散り敷いてそれはきれいです.国道を通るたびに冬を迎える季節を感じます.
境内を横切るしかなかったのかもしれませんが、人間というものは自分の都合で勝手なことをしますよね.こうしたお宮がわが町にはもう一つあります.八幡様の北西方向にある熊野神宮です.こちらの一の鳥居は海中に立っていました.それからお社までに鳥居が二つありました.それが埋め立てられるやら住宅が押し入るやらで、昔の姿はもうありません.雑然として境内などはもう感じられなくなりました.不敬な人間どもの仕業に呆れておられるかもしれません.
平戸も松浦水軍の地、熊野神社があり勇壮な八幡様がありで、みな平戸瀬戸に大鳥居を向けていましたが、人心の移りは抗い様もない事実で昔の人の思いに心を寄せる人も少ないのでしょうね.でもイチョウの大木は昔も今も同じように見つめています.鶴岡八幡宮の大銀杏も同じなんだろうなと思うこの頃です.まもなく年の瀬、イチョウの木もすっかり葉を落として厳しく雄々しい姿を見せてくれるだろうと思います.
イチョウの木でもう一つの思い出は、佐世保に住んでいた頃見た『しろひげ太郎』と呼ばれる楠蚕です.借家の庭にあったイチョウの大木に住んで(?)いました.蛹の季節になって移動するあの素晴らしい虫の姿は今でも目に焼きついています.毛虫はあんまり近寄りたくありませんが、この楠蚕と田んぼのあぜ道でよく会った可愛らしいマルチーズのような小さい名も知らぬ毛虫を見るのは好きです.