津波になぎ倒された桜のつぼみが開いた映像を見ました。桜は東北の人々そのままですね。自力で花を咲かせたんですね。自力で復興に取り組む人たちに私達の政府が手立てを講じて力を添えられるよう全国民が願っているに違いありません。災害の復興は国力をあげての支援体制の中、被災地の方々の努力によって成し遂げられるに違いありません。
その中で最も無力感を感じさせられるのが、福島原子力発電所の事故です。今回の事故は、たとえ如何にあってはならないことであっても、そういう事故が起こりうることを私達に示しています。自然の力は私達人間の誠実な暮らしに対してもあまりにも非情です。それはただ畏れる以外にどんな対処法もないことを示しています。忘れない事、わきまえること以外にどんな対処法もありません。ですがそのあってはならない事が起こったことに対する私達の無能ぶりはあまりにもひどいものでした。事故直後、その惨状の実態は分からなかったかもしれませんが、時間の猶予が無いことだけは誰にでも想像がついたはずです。現場で一つ一つの作業を繋げておられる方々の危険と努力は察するに余りあるものですが、東電の関係首脳、政府、科学者、こういった方々がなにも予想できなかったというのであれば、私達の社会はこんなものだったのと自分をあざ笑う以外にないのかとさえ思います。今原発の事故の収拾をつけることに時間が無いということが分かっているのですから、いかなる非常手段を持っても迅速に八方手段を尽くすべきです。一つの試みに時間を費やしてその好結果を望んで待つというのでは、いたずらに作業者や猶予期間を浪費していることになります。余震が繰り返し発生するなか、災害が重複する危険も当然あり得るはずです。重複しないうちに一刻も早く修復しなければなりません。人命を賭したとしてもです。制御能力が無ければ、その宝は持つべきでもありませんしもっていない事と同じだと、厳しく自制しなければなりません。私達は原子力発電をしてもよいかどうかの選択基準を今試されているような気がします。
福島原発周辺の方々の心の内はどんなだろうと思います。関東の人々の心も揺れています。放射能と放射性物質に関しては私も詳しくは分かりません。はっきり分かっていることは放射線の防御法はとりあえず無いということだけです。レントゲン室でカバーに使われているようなもので体を包むか、外に漏れないよう遮断したレントゲン室のような密閉した中にいるかだけです。被爆した時にどうなるのかと私に分かっていることは、1.細胞が熱傷を起こす。2.細胞のDNAが破壊される。という二つです。最悪の事態で私達に生き残る余裕は被災の程度ということになります。実際ごく微量の放射線にはこの地球上にいる限り曝されているのですから。宇宙飛行士はもっと曝されています。そういった同じ条件下での違いは各人の細胞の強さと修復力の程度ということになります。長崎と広島は原爆の経験を持っています。チェルノブイリの時も長崎大学医学部は協力を求められたと聞いています。その時『味噌』が日本から送られたことは全世界に知れ渡ったはずです。長崎で被爆し生き延びられた人々にも様々な条件があって、一律に距離ではありませんでした。マクロビオティックは体を調整する方法を提示しているのですから、自分の体を強くも弱くも出来るはずです。ただ若い人は子を生む使命を持っているのですから、取り返しのつかないほどDNAを傷つけられる事態は避けなければなりません。これは社会全体がその事を意識すべきだと思います。テレビで原子力発電の仕組みは報じられていますが、放射線の人体に対する影響についてはほとんど出てきません。長崎大学には膨大な資料があります。それから学ぶ防御策もあるのではないかと思います。あれだけ原爆医療に国家予算を使いながら、今回長崎大学の名前が全然出てこないのも何かしら違和感を感じています。
人心をよらしむことが出来ない政府に残された道は、疑心暗鬼を防ぐことだけです。それで事実と体系づけられた対処法とを示す以外にないと思います。また助ける助けると言っている私達に福島から逃れてきた人々を排除するような卑しい根性があることを肝に銘じて、自分を厳しく制御して言動を一致させるべきだと思います。言ったからには本当に行うべきです。頭の中での善行におぼれることなく、現実の行動を見つめるべきだと思います。
それではこんな今日の日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来るだろうか!!
その中で最も無力感を感じさせられるのが、福島原子力発電所の事故です。今回の事故は、たとえ如何にあってはならないことであっても、そういう事故が起こりうることを私達に示しています。自然の力は私達人間の誠実な暮らしに対してもあまりにも非情です。それはただ畏れる以外にどんな対処法もないことを示しています。忘れない事、わきまえること以外にどんな対処法もありません。ですがそのあってはならない事が起こったことに対する私達の無能ぶりはあまりにもひどいものでした。事故直後、その惨状の実態は分からなかったかもしれませんが、時間の猶予が無いことだけは誰にでも想像がついたはずです。現場で一つ一つの作業を繋げておられる方々の危険と努力は察するに余りあるものですが、東電の関係首脳、政府、科学者、こういった方々がなにも予想できなかったというのであれば、私達の社会はこんなものだったのと自分をあざ笑う以外にないのかとさえ思います。今原発の事故の収拾をつけることに時間が無いということが分かっているのですから、いかなる非常手段を持っても迅速に八方手段を尽くすべきです。一つの試みに時間を費やしてその好結果を望んで待つというのでは、いたずらに作業者や猶予期間を浪費していることになります。余震が繰り返し発生するなか、災害が重複する危険も当然あり得るはずです。重複しないうちに一刻も早く修復しなければなりません。人命を賭したとしてもです。制御能力が無ければ、その宝は持つべきでもありませんしもっていない事と同じだと、厳しく自制しなければなりません。私達は原子力発電をしてもよいかどうかの選択基準を今試されているような気がします。
福島原発周辺の方々の心の内はどんなだろうと思います。関東の人々の心も揺れています。放射能と放射性物質に関しては私も詳しくは分かりません。はっきり分かっていることは放射線の防御法はとりあえず無いということだけです。レントゲン室でカバーに使われているようなもので体を包むか、外に漏れないよう遮断したレントゲン室のような密閉した中にいるかだけです。被爆した時にどうなるのかと私に分かっていることは、1.細胞が熱傷を起こす。2.細胞のDNAが破壊される。という二つです。最悪の事態で私達に生き残る余裕は被災の程度ということになります。実際ごく微量の放射線にはこの地球上にいる限り曝されているのですから。宇宙飛行士はもっと曝されています。そういった同じ条件下での違いは各人の細胞の強さと修復力の程度ということになります。長崎と広島は原爆の経験を持っています。チェルノブイリの時も長崎大学医学部は協力を求められたと聞いています。その時『味噌』が日本から送られたことは全世界に知れ渡ったはずです。長崎で被爆し生き延びられた人々にも様々な条件があって、一律に距離ではありませんでした。マクロビオティックは体を調整する方法を提示しているのですから、自分の体を強くも弱くも出来るはずです。ただ若い人は子を生む使命を持っているのですから、取り返しのつかないほどDNAを傷つけられる事態は避けなければなりません。これは社会全体がその事を意識すべきだと思います。テレビで原子力発電の仕組みは報じられていますが、放射線の人体に対する影響についてはほとんど出てきません。長崎大学には膨大な資料があります。それから学ぶ防御策もあるのではないかと思います。あれだけ原爆医療に国家予算を使いながら、今回長崎大学の名前が全然出てこないのも何かしら違和感を感じています。
人心をよらしむことが出来ない政府に残された道は、疑心暗鬼を防ぐことだけです。それで事実と体系づけられた対処法とを示す以外にないと思います。また助ける助けると言っている私達に福島から逃れてきた人々を排除するような卑しい根性があることを肝に銘じて、自分を厳しく制御して言動を一致させるべきだと思います。言ったからには本当に行うべきです。頭の中での善行におぼれることなく、現実の行動を見つめるべきだと思います。
それではこんな今日の日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来るだろうか!!