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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

5月8日

2011-05-09 14:12:04 | Weblog
昨日は父の命日でした。父のいない日がこの世にあるなどと思いもよらなかった娘の私には最も画期的な悲しい出来事でした。毎年繰り返して迎える5月の8日ですが、昨年出版することが出来た私の初めての本『マクロビオティックに学ぶ暮らしの知恵』を、出来たら父の命日にこの世に送り出せたらいいなと思っていたものですから、何となくあてが外れたというか、がっかりしたような気分を味わったことを思い出しました。

本作りというのはなかなか難しくて、読者の好みと著者の好みというものが合っているのかどうかも分かりませんし、まあ十人十色というか、出版社の都合と著者の都合をすり合わせる作業もそれなりに時間がかかるものだということがよくわかりました。それで結局は8月にやっと皆様のお目に触れたというわけです。そしてまた父の命日を迎えてその事を思い出しました。

あの本を出したのは、勿論マクロビオティックそのものを知っていただくことも目的ではありましたが、それよりもかけがえのない人生と日々の行為・『食べること』とのかかわりを知っていただいて、自分の人生を積極的に考える方法としてのマクロビオティックを知っていただきたいと思ったからです。

無理やり読ませられた同級生から嬉しい感想をもらいました・・・・・・ある日のブログより・『母卒す』と『とんご柿』が一番よかったよ。死を間近にしたお母さんと死について語り合う時間を持てた人は、f(私の旧姓)さん、あなたしか多分いないよ・・・・・。それを聞いて本当に嬉しかったです。mさん、あなたも死について、誰しもが辿り着く人生の完結点について考えていらしたんですね。現代社会の死が訳の分らぬものになっていることを悩んでおられたのですね。大事に過ごしてきた人生の最後が苦しみの果ての昏睡で死を迎えることのむなしさを感じておられたのですね。読んでくださってありがとうございました。

私も母に死というものを知って死んでもらいたかったのです。そしてそれが私のマクロビオティックの一つの活動目標ととらえています。死というものが人生の終わりではなく、人生の新しいステージの始まりであるからです。その事を納得するためにマクロビオティックはあるのだと思っているのです。人間少なくとも30歳になったら自分の死というものについて考え始めるべきです。もし今回日本を襲ったような不幸に私達が巻きこまれてどうしようもなくても、自分の人生を見つめることが出来るようになりたいと思っています。健康に生きてもある日突然死に直面するのではなく、死に向かって展開している人生の意味を、そして死の意味をもっと身近に考える問題にしたいのです。そうしなければ健康に生きるという意味がなくなってしまいます。健康で生きたにしても必ず死ななければならないのですから。

社会において死が明確になれば、医療ももっと対処しやすくなるでしょう。哲学と宗教の役目ももっと明確になるでしょう。それよりもなお自分の人生がもっと自分のものになるはずです。死んでしまった大切な人々への供養ももっと明らかになるでしょう。記憶の中の人々とまだ見ぬ未来の人々と自分の関わりもはっきり自覚出来ると思います。


それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!
コメント (2)
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