莢付きのエンドウ豆をお野菜屋さんで見かけたので、姑が大好きだったエンドウ豆ご飯を炊いてお供えしました。姑には知り合いのお祝い事のたびにお赤飯が届けられていました。お彼岸ともなればご近所のあちこちからおはぎがたくさん届きました。私は甘いものが苦手でしたから、『あんたはいらんね!』といつも言われていました。
意見が一致したのは季節の炊き込みご飯です。筍ご飯、エンドウ豆ご飯、栗ご飯、キノコご飯、ぎんなんご飯・・・・・それと熟柿です。熟柿は何時も分け合って食べていました。新旧嫁の至福の時で、『こんなに柿が好きだから柿本になったのかもしれないね・・・・?』って二人で妙に意見が一致したものです。それで炊き込みご飯と熟柿は先ず姑に供えなければなりません。
エンドウ豆ご飯の思い出は、こどもたちのお弁当です。『美味しいきれいなエンドウ豆でおにぎりを作ってやろう!!』そう思った私は、前日実のよく入ったたっぷりの莢付きエンドウ豆を買ってきました。前夜はご飯の準備だけです。だし昆布も一緒に少なめの水かげんに漬けておきます。そして朝4時頃起き出して身支度を済ませ、エンドウ豆を莢から取り出します。豆は、豌豆もそら豆も、むいておくと皮が硬くなって美味しくありません。使う直前にむくのが、美味しいエンドウ豆ご飯を炊くコツです。むき終わったらさっと洗って水けをきります。そしてご飯の昆布を取り出して(浸ける時間が短かったり量が少なければそのまま炊いてもよい)、上質のお塩で味をつけます。おにぎりにするのでお塩は控えめにします。エンドウ豆をいれて炊き上げます。
炊きあがりました。エンドウ豆はご飯の上に並んでいるのでお豆を壊さないように混ぜ返します。おにぎりにします。この時のコツと言ったらただひとつ!しかありません。それは、“手のひらが火傷するくらい熱いうちにおにぎりにする”ことです。手水をこれまた上質の味の良いお塩で用意して、おしゃもじで一つ分を手に取ります。熱くてとても持てませんから、お手玉よろしく放り上げながらむすびます。最後の方は冷めてきて放り上げなくても大丈夫です。こうするとキラキラしたおにぎりが出来ます。おにぎりの美味しさは、熱さとお塩の味で決まります。真っ赤になった手のひらは私の満足の証でした。
こんなにして出来た私のお弁当でしたが、娘のお友達の評価は、『柿ちゃんのお弁当はかわいそう!』だったそうです。美味しいおにぎりを作ることでお弁当に関して完結していた私の思考ですから、きっとおかずが少なかったのでしょう。唐揚げとたくあんだったかもしれません。竹かごのお弁当箱に最高にきれいなヒスイのようなエンドウ豆ご飯のおにぎりに他に何がいるというのでしょう!!!!?親の満足と子供の満足は違っているのですよね。子供には子供の世界があるし・・・・
でも私はあえて4人の子供達相手に私の考えを曲げませんでした。子供達とのお弁当談義を思い出します。『・・・ちゃんのお弁当にはいつもイチゴとかサクランボが入っている・・・・!』不満そうなかわいらしい顔が並びます。『でもね、イチゴはつぶれてたでしょ?、つぶれるものはお弁当に入れてはいけないの。サクランボは煮て赤い色のついたものだったでしょ?、あれはサクランボの味ではないし、色をつけたものはよくないの。』『ふう・・・・・ん??』それでも不服そうです。私はじっとサクランボの季節を待ちました。そしてデザートだけを持っていく日のお弁当箱に、きれいな美味しいサクランボをたっぷり並べて詰めました。蓋を取った時の子供たちの顔を想像するととても楽しい朝でした。
子供たちとの暮らしで親の好みを押し付けると時々ぎょっとすることもあります。食器もプラスチック製などを使いませんでした。においが気になりますし、取り扱いや質感を自然に知ってもらいたかったからです。それで子供たちから壊されたことはほとんどありません。でも歯の生える頃には、噛みつきたい子もいます。一口グラスなどは小さいからいいだろうと思っていると、カーブが噛みやすいのか、何度か噛み割って口の中でガラスが砕けたこともあります。けがをしたことはありませんでしたが、普通の大きさのコップに変えました。危険は避けなければなりません。
きれいな色のエンドウ豆を見るたびに昔の懐かしい思い出がよみがえります。子供達は子供達で違う思い出なんだろうなと思います。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!