先日、加古川へ行ったときに、聖徳太子開基伝承の寺院のひとつ「鶴林寺(かくりんじ)」を訪ねた。鶴林寺は西の法隆寺と称され、国宝の太子堂をはじめ数々の文化財を有する、播磨地方有数の寺院である。
目に留まったのが、本堂を挟んで両脇にある「菩提樹」と「沙羅樹」の2本の木。神社で言うなら神木と同じ意味をもつ木なのだろう。
それぞれの木の横に立て看板があった。それには、下記のような内容のことが書かれ興味を惹いた。菩提樹は、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたと言われている木である。片方の羅紗の木は、お釈迦様が入滅された時に、周辺に羅紗双樹が繁っていたと言われている。ともにお釈迦様との因縁の深い木である。
ともに6月中頃からが見ごろのようだ。
[菩提樹]
お釈迦様が成道の時、この樹の下で坐禅されたという仏教の因縁のある木。
日本ではインド種が生育しないため古来この中国種の木によって菩提を悟られたお釈迦様をしのんできた。
[沙羅樹]
お釈迦様が入滅になる時に、周囲に繁っていた娑羅双樹が枯れ、こずえがまるで鶴が翔ぶような姿になったという仏教に因縁のある木。これが当寺の名前の鶴林の語源である。
日本ではインド産の木が生育しないため古来、このナツツバキを沙羅と呼んで涅槃に入られたお釈迦様をしのんできた。
目に留まったのが、本堂を挟んで両脇にある「菩提樹」と「沙羅樹」の2本の木。神社で言うなら神木と同じ意味をもつ木なのだろう。
それぞれの木の横に立て看板があった。それには、下記のような内容のことが書かれ興味を惹いた。菩提樹は、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたと言われている木である。片方の羅紗の木は、お釈迦様が入滅された時に、周辺に羅紗双樹が繁っていたと言われている。ともにお釈迦様との因縁の深い木である。
ともに6月中頃からが見ごろのようだ。
[菩提樹]
お釈迦様が成道の時、この樹の下で坐禅されたという仏教の因縁のある木。
日本ではインド種が生育しないため古来この中国種の木によって菩提を悟られたお釈迦様をしのんできた。
[沙羅樹]
お釈迦様が入滅になる時に、周囲に繁っていた娑羅双樹が枯れ、こずえがまるで鶴が翔ぶような姿になったという仏教に因縁のある木。これが当寺の名前の鶴林の語源である。
日本ではインド産の木が生育しないため古来、このナツツバキを沙羅と呼んで涅槃に入られたお釈迦様をしのんできた。