ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

東寺の本尊は薬師如来? それとも大日如来?

2017-08-29 16:34:58 | 歴史遺産「仏像」
東寺は、平安京鎮護のため嵯峨天皇が弘法大師 空海に下賜したお寺である。
その空海が唐から持ち帰った真言密教を、この東寺で開示した。

真言密教は「大日如来」が本尊。にもかかわらず、何故、東寺の本尊が「薬師如来」なのだろうか、と疑問をもつ。

修行場としての講堂には、真言密教の本尊である「大日如来像」を中心に、如来、菩薩、明王、天部の21体の仏像が安置され立体曼荼羅で悟りの世界を現している。
本堂である金堂には、東寺の本尊「薬師如来像」を中央に、右に日光菩薩、左に月光菩薩が鎮座している。

金堂と講堂では異なる仏像がある。少し違和感を覚えるが、それは、密教が日本で本格的に普及し始める前から「雑密」という形で薬師如来は人気があったようである。
当時、病気の苦しみから救ってくれる現世利益として多くの人の心の支えとなっていたようだ。いまのように医療の無い時代には、薬師如来の御利益は絶大なる希望の薬だった。
それに加え、空海自身も薬師如来を個人的に好んだと言われている。そのために、真言宗の本尊にしたのではという説がまことしやかに伝わっている。
ということで、ご存じのとおり、高野山 金剛峰寺の本尊が薬師如来である。

どの宗派に関わらず、時勢や、寺の目指す方向によってメーンキャラクターとして仏像を選択したということのようである。




写真は、写真集「東寺のみほとけ」と「pinterest」より転載
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人の心を魅了する「色気」。

2017-08-29 10:34:23 | 歴史遺産「仏像」
「色気」。世間では俗っぽい言葉であるが、仏像の中でも、とくに如来像や菩薩像、天部像の一部には、その色気を感じさせるものがいくつかある。
それらの表情には絶世の優美さが感じられる。穏やかな、慈悲深い表情は人の心を魅了する。私の中では、それも含め「色気」と称している。

顔の表情と同様に、仏像で目に留まるのが肩から背にかけて流れるライン。
最高の彫刻技術で造られ、そして歴史を跨いできた仏像には、その「色気」が色濃くでているような気がする。






左から、十一面観音立像・阿修羅像・弥勒菩薩像
写真は、YAHOO仏像画像から転載
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東寺の柳は蓮と一対に。

2017-08-25 11:20:30 | 文化想造塾「神社仏閣」
東寺の蓮池のほとりに柳の木がある。
平安時代の能書家 小野道風の逸話に、蛙が柳に飛びつこうと何度も繰り返す。このひたむきの蛙の努力を見ていると、努力するれば運も味方する。
そんな想いを持ったとある。
その逸話が「柳」と「蛙」を結びつけたかどうかは知らないが、一対でよく登場する。

「柳」といえば、中国の古典によく出てくる。”別れ”とかの場面で近親者が別れの餞けに”達者で暮らせよ”と柳を輪にして手渡す風習があったようだ。

そんな風習も、空海が唐から持ち帰った行李(こうり)の中に詰まっていたのかも知れない。

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東寺の立体曼荼羅を訪ね。

2017-08-24 15:34:38 | 一茶庵「易社」
先日、久々の上洛した。以前から思いを馳せていたが、やっと実現した。その場所は「東寺」さん。講堂にある「立体曼荼羅」を訪ねた。
ご存知のとおり、弘法大師 空海が仏(悟り)の世界を、視覚で理解できるように、と解りやすく表現したのが、この「立体曼荼羅」と言われている。
それを改めて鑑賞したく訪ねた。

東寺さんのあと、西本願寺に参拝。阿弥陀堂と御影堂にお参りし本堂内でしばし寛がせていただいた。













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七夕の夜、月明かりで針に糸を通す。

2017-08-10 21:18:26 | 伝統文化
前に記したように、中国では七夕のことを「乞巧(きっこう)」と言っていた。その乞巧が、日本に伝わったときは「七夕」ではなく、「棚機(たなばた)」と書かれていたようである。
それは、七夕に登場する織女(しゅくじょ)星ははた織りや裁縫の仕事、牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星とされていたからのようだ。

その織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにと祈るようになった、と言われている。七夕の夜に庭先に祭壇を設け針など供え星に祈りを捧げ、月の光の下で針の糸を通すという、風習がいまでも中国にはあると聞く。

そのような七夕伝説が、日本に伝わったと思われるが、伝説をおもしろく結びつけPRするのは日本の企業等は得意なのだが、結びついていったという話しは聞かない。
織女星と牽牛星、天の川、上弦の月という想像を広げてくれる題材をフルに使ってメルヘンティックな世界に誘ってくれる「七夕」を、裁縫やはた織りなどの繊維業界が結びつけてないのはいささか解せぬ。

ちなみに中国では、七夕の夜、織女星に向かって針を月にかざし糸を通している絵が残されているようである。


絵はYahoo画像から転載
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