ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

11月1日~3日まで、尾道ベッチャー祭り!!  最終日はお囃子と子どもたちの泣き叫ぶ声が響く

2022-10-27 12:57:51 | 尾道・文化紀行

秋を彩る風物詩といえば、秋祭り。日本のそこ彼しこで行われる伝統行事のひとつ。全国津々浦々で地域色豊かな祭りが行われている国は世界広しといえども日本くらいであろう。それだけ、日本は伝統と風習や慣習を重んじているからだ。日本を育んできた文化の結晶が祭りである。

 

その祭りの中でも奇祭として200年以上続いているのが尾道の「ベッチャー祭り」。1800年の初頭に尾道で疫病が流行り、各寺社が病魔退散のお祓いを行った。吉備津彦神社(尾道市東土堂町)でも祭事が行われ、その修祓の日、獅子頭とベタ(武悪)・ソバ(大蛇)・ショーキ(天狗)という3面の鬼神が、神輿の先導を行ったことが始まりといわれている。

3鬼神の中でも一番格式が高い「ベタ」は、平べったい顔をしていることから「べちゃー(方言で平べったいことを表現する言葉)」が変化して「ベタ」と呼ばれ、このお祭りの名前の由来になったとされている。

 

 

ベッチャー祭は、尾道市民俗文化財に指定されている奇祭で、毎年11月1日・2日・3日に行われ、今年もコロナ禍でも感染予防対策をしながらいつもの祭りを執り行うことに。初日は神輿の宮出、獅子の巡行。2日目は大祭「新型コロナウィルス鎮静祈願祭」が行われ、荘重典雅の神楽舞である「浦安の舞」と、お囃子や神輿太鼓を現代風にアレンジした「べッチャー太鼓」が奉納される。

そして最終日は、祭りのクライマックスであるベタ・ソバ・ショーキと獅子が神輿とともに市の中心街を練り歩く。3鬼神が子どもを見つけると追い回し、竹の先を細かく割った「ささら」や「祝棒」で頭をたたいたり、体を突いたりする。子どもたちの泣き叫ぶ声とお囃子の音が響きわたる。「ささら」でたたかれると頭が良くなり、「祝棒」で突かれると子宝に恵まれ、1年間の無病息災が約束されるという。

そして神輿が宮入りをして3日間の祭りの幕が下りる。

 

 

ベッチャー祭りが終わり、山々が紅葉し冬支度をする季節に移ろいでいく。

 

リポート/ 渡邉雄二 参照資料/ ベッチャー祭りHPを参照 写真/ 「おのみちや」ベッチャー祭り画像を転用

 

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

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土曜日の夜は、ぼんぼりの灯りで尾道が幽玄の世界に  「鶴瓶と家族に乾杯」が尾道へ。来週月曜日の19時30分より拡大SP

2022-10-06 11:42:32 | 尾道・文化紀行

JR尾道駅前広場

今週土曜日の夜は、3万個以上のぼんぼりの灯りで尾道が包まれる。尾道の街が灯りで幽玄の世界に染まる。ほのかに灯るぼんぼりを通して「癒しのまち尾道」のぬくもりが体感できるイベント。寺と寺を結ぶ路地や参道、駅前緑地帯などを「ろうそく」の灯りでライトアップされ、かつて先人が尾道の三山(千光寺山、西國寺山、浄土寺山)の山頂から見たであろう「常夜灯」の灯りを「ぼんぼり」でいにしえの尾道を再現する。

市内の小中学校の児童・生徒らにより将来の夢や願いを描かれたぼんぼりを、お寺へと続く参道や海岸沿いに奉納。そのお寺を核とした地域の歴史や文化、伝統を知ることから、自分の街に誇りを持ち、地域を愛する感性を育むことも大きなテーマとして息づいている。

 

時間は18:00~21:00

灯りぼんぼりが設置される場所は、古寺・JR尾道駅前緑地帯

済法寺・持光寺・海福寺・光明寺・宝土寺・天寧寺・千光寺・妙宣寺・正授院・善勝寺・大山寺・西國寺・正念寺・西郷寺・浄土寺・海龍寺など。

 

JR尾道駅前広場

西國寺山門前

浄土寺

 

欠かさず視聴している大好きな番組「鶴瓶と家族に乾杯」が尾道へ。

来週月曜日の19時30分より83分拡大SPとして放送される

 

笑福亭鶴瓶さんと井ノ原快彦さんが尾道市で初のぶっつけ本番旅へ!

向島の船着き場で待ち合わせたふたりは、そこで知り合った人に声をかけ、その人がすぐ近くであるモノを作る職人だと聞き、早速お邪魔することに。

井ノ原さんは鶴瓶さんと別れ、ひとり旅へ。同じ名字の井ノ原さんに会いたいと、手がかりを求めて商店街へ。

一方、鶴瓶さんは、人口400人余の百島へ。そこで、島を愛する人たちと島の魅力を語り合う。尾道の島を舞台に繰り広げる、いつものぶっつけ本番旅が繰り広げられる。

ぜひ、尾道の島の人情味をご視聴ください。

 

リポート/ 渡邉雄二 参考資料/ 尾道灯りまつりHP、「鶴瓶と家族に乾杯」HPを参照

写真/ 尾道観光協会フリー画像・尾道市

 

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尾道・浄土寺は建物だけではなく、土地を含め国宝

2022-03-24 15:56:31 | 尾道・文化紀行

 

日本全国には「浄土寺」という名の寺院が多くある。浄土の名がつく寺院は「浄土の世界」に通ずるところとしての役割があるのだろうか。夕陽や朝日の光は浄土の世界を想わせるかの如く輝き、浄土の世界の喩えとしてよく耳にする。太陽信仰として光は崇拝のシンボルとなっている所以なのかもしれない。

 

尾道にある浄土寺は尾道三山の一つとして、飛鳥の昔に聖徳太子が開創したと伝えられている、中国地方屈指の古刹である。瀬戸内海の要津として発展した尾道の人々が心寄せる寺として繁栄してきた。およそ七百年の時代を重ね、いまも尾道の発展を見守り続けている。

 

山門を入ると正面に本堂、その右手に阿弥陀堂と多宝塔が建つ。これらは中世仏教建築の代表的な建築物として現存している。それに対し、境内西側には方丈、庫裏及び客殿などは近世建造物で生活空間として庭園や茶室(露滴庵)などもある。

とくに本堂は1327年(嘉暦2年)の建立。入母屋造本瓦葺きで、和様を基調とした中世折衷様仏堂建築の代表作。多宝塔は1328年(嘉暦3年)建立され、和様建築で鎌倉時代末期の多宝塔として貴重な建造物のようである。

 

本堂 (国宝)

多宝塔 (国宝)

阿弥陀堂 (重文)

庭園と茶室

庫裏内

 

その本堂と多宝塔とともに国宝に指定されているのが近世以前の寺院景観を良好に残す境内地である。国宝のほとんどは建造物のみの場合が多いが、浄土寺は建物だけでなく、土地も含め国宝になっている。ちなみに土地を含めて国宝に指定された場所は清水寺(京都市)と宇治上神社(宇治市)と、ここ尾道の浄土寺だけ。全国でも珍しい場所として注目されている。

 

また、写真にもあるように鳩がたくさんいる。鳩被害で対策されている由緒ある神社仏閣もあると聞くが、ここ浄土寺は鳩にとっても住み心地の良いところのようだ。

それは、江戸時代、幕府禁制だった伝書鳩をお寺で密かに飼育し、商人たちがその伝書鳩を利用し貴重な情報を手に入れ、商人もお寺も繁栄につながったといわれている。その “伝書鳩おかげ” がいまに残っているようだ。

残念ながら見る事はできないが、寺裏門の天井には今でも鳩小屋が残っているそうである。尾道の繁栄にとって、鳩は貴重な役割を果たしていたため、今でも大切な存在として扱われているとのこと。

 

聞くところによると、夕陽が傾くときも美しいが、日の出の光に照らされた本堂、阿弥陀堂、多宝塔はもっと美しいという。毎日、早朝散歩で浄土寺まだ上がり手を合わすという参拝者からの情報だから間違いなかろう。癒しのまち・尾道に相応しい光景が目に浮かぶようである。

 

鳴滝山から臨む日の出

 

リポート&写真/ 渡邉雄二・栗山主税・ネット画像転用 参考資料/ ウィキペディアの参照

 

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かぎろひ広がる天の川と海の川

2022-03-16 11:05:55 | 尾道・文化紀行

夜明け前の、空と星そして海と大地が織りなす水天一碧の世界。

カメラマン栗山主税氏が、故郷、尾道の夜明け前を写した一枚。

 

 

リポート/ 渡邉雄二 写真/ 栗山主税(尾道出身のカメラマン)  

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四季を通じ愛宕山に広がる西國寺の一大絵巻

2022-02-24 14:27:55 | 尾道・文化紀行

全国行脚の途中に尾道に立ち寄った行基(仏教僧)が開山した「西國寺」。時は西暦729年。その後に本堂や行基作の本尊薬師如来も焼滅したが、永保元(1081)年、平安朝時代、白河天皇の勅命により再建された。 伽藍の規模が西国一という意味をから西國寺と名付けられたようだ。

 

以前に紹介した巨大草履が吊り下げられている仁王門をくぐり、烏天狗の伝説の金剛院を過ぎると山から吹く風の音しか聞こえてこない。108段の石段を登れば、緑の中に南北朝時代の建築様式で造られた朱塗の金堂(国重文)を始め、三重塔・大師堂・不動堂・持仏堂等が並ぶ。歴史ロマンの地に舞い降りたような雰囲気を感じさせる。

金堂と後方に見える三重塔

不動堂

不動堂の前に立つ青銅の不動明王

毘沙門堂

 

尾道三山の一つ愛宕山の中腹に大伽藍が広がる西國寺は、境内の平地面積15700平方メートルに及び、眼下に横たわる尾道水道と共に、絢爛たる一大絵巻のような四季折々の景色が楽しめる。

 

本尊は、平安時代後期に造られたとされる像高91cmの木造薬師瑠璃光如来坐像。金堂内陣須弥壇に安置されているが秘仏であるので参拝者に直接目に触れることはない。金堂の正面から手を合わせるのみである。

西國寺を後に、眼下の尾道水道を臨みながら「浄土寺」へ向かった。

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 一部写真・イラスト/ 西國寺HPより転用

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