ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

京都三千院を訪ねる。「わらべ地蔵」に心が洗われる。

2020-09-30 13:35:45 | 文化想造塾「神社仏閣」

スマホに保存している写真を整理していると、私に語りかけるかのようなお地蔵さんの写真がいくつか目に留まった。以前、伊勢神社へ参拝した帰りに京都へ立ち寄ったときに撮影したもの。もうかなり前のことである。

その時に、京都三千院を訪ねたのが、かれこれ40年ぶりだったと記憶している。学生時代に、冬景色を楽しむために何度か訪ねたことがある。京都駅からバスで約1時間。大原の里は、京都市左京区北東部の比叡山西麓に位置する小さな盆地で、芝漬けなどの野菜作りが盛んな地である。

その大原の里にある有名なお寺「三千院」を訪ねた。時はかなり経過していたが、正門やその周辺の風景はいまも変わってないので、当時の記憶がよみがえってくる。境内を歩いていると苔むす庭に「わらべ地蔵」の微笑んでいる石像があった。なんとも愛くるしい笑顔とポーズ。腹ばいになっている姿や、手を合わせている姿に、こちらもついつい手を合わせたくなる。穏やかな表情に心が洗われるようだった。

 

写真をみながら、その当時をほんの少し思いおこし楽しむのもいいものである。

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自然のままは、美しい。無限の想像力を生みだす。 【一茶庵 稽古追想】 

2020-09-28 15:01:08 | 文化想造塾「煎茶」

白居易(はくいきょう/白楽天)の代表的な詩である「晩秋閑居(ばんしゅうかんきょ)」は、よく煎茶席にかけられる。それは、この時期の夜長にぴったりな抒情詩といえるからだろう。

数年前、秋の夜長に雁が音を味わいながら、自然のなすがままの美しさを漢詩や短歌を通し想像をふくらませ楽しんだことがある。それが「晩秋閑居」という詩である。
 
地僻門深少送迎
披衣閑坐養幽情
秋庭不掃攜藤杖
閑蹋梧桐黄葉行

ある僻地の奥まった佇まいには客の出入りが少ない
衣を羽織ってゆったりと坐り静かに心を養う
秋の庭は掃除もせず藤の杖を手に
のどかに桐の落ち葉を踏んでゆく


 
白楽天のこの「晩秋閑居」は、秋草や落ち葉でいっぱいの庭も晩秋の野辺のように美しいものである。ということを表している。
それを踏まえてか、平安時代に詠まれた短歌がある。
珍しく煎茶稽古に短歌のお軸が掛かっていた。
詠んでゆくと、白楽天の漢詩に通じるものだった。晩秋の庭は、掃除をしない方が自然のままで美しいのだという内容の短歌である。
 
わが屋とも
くさ野かぎ里は
はなさきぬ
秋ふかくな留
野べにならひて
 
この短歌の題は「草花」。この歌には変体仮名が随所に使われている。平安時代に詠んだ人の感覚感性で漢字が使われているが、漢字として役割をもち、そして漢字として読むのは「秋」のみということになる。この手法も実に楽しい。表現力や想像力を存分に発揮できるような気がする。

 

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南禅寺三門の上層五鳳楼の内陣の魅力を堪能 Enjoy the charm of the inner camp of the upper Gohoro of Nanzen-ji Sanmon

2020-09-27 16:44:49 | 寺社絵画

南禅寺は若いときから幾度となく訪れた、大好きな寺院である。広大な境内に禅宗七堂伽藍が東西に並んでいる。臨済宗の寺院において、京都五山の中では別格という特別な寺格の有する寺院。その玄関にあたる山門(三門)は、日本三大門の一つに数えられている。

三門とは、仏道修行で悟りに至るために透過しなければならない三つの関門を表すといわれている。「空」、「無相」、「無作(むさ)」の三解脱門(さんげだつもん)と称した呼称である。山門ともいわれ寺院を代表する正門であり、禅宗七堂伽藍(山門、仏殿、法堂、僧堂、庫裏、東司、浴室)の中の一つである。南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、上層の楼を五鳳楼と呼ばれている。

現在の三門は1628年に再建されたものであり、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示している。

今回は、兎にも角にもこの三門の上層の五鳳楼に上がることのみを目的に訪ねた。いままでに上ったことがなかったので、この機会にと。内陣の本尊(宝冠釈迦座像)や十六羅漢像や脇侍の仏像を観ることに加え、狩野探幽、土佐徳悦の筆とされる、柱や天井一面に描かれている極彩色の図画をゆるりと拝見することができた。内陣には入れなく、小窓から覗き見ながらではあるが堪能した。

また、上層の楼から360度の景色は圧巻だった。西南には木々を越えて霞む京の街を臨んだ。

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神戸天満神社の舞台から望む天と地。

2020-09-26 21:35:50 | 文化想造塾「神社仏閣」

京都の北野天満宮はご承知のとおり、菅原道真公をご祭神をお祀りする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社。その一つに神戸北野天満神社がある。総本社から道真公の神霊を勧請し祀つられている。

久々に神戸・北野界隈を少し歩いた。神戸の代表的な観光スポットで有名な北野坂は、衆知のとおり数々の異人館がある。その中に、寛保二年(1724年)に建立され、それ以来神戸の街や港を見守り続けている北野天満神社がある。
北野天満神社には、本殿の前に拝殿としての舞台がある。天神様に舞の奉納や、神事などをする場所として荘厳さを醸し出している。
本殿に拝礼し振り向くと拝殿の舞台。その舞台の間からは,天と地が臨める。地には神戸の街が広がっている。

 

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謡本も、当時の形体のままで継承されている。【能楽<謡>】  The utai book is also inherited in its original form.

2020-09-24 13:35:31 | 伝統芸能

能楽は、舞・謡・囃子の三要素から成り立っている古典芸能である。いま風に言うなら、舞は演技・ダンス、謡はセリフ、囃子は伴奏・効果音ということになろう。いまの時代に合わせ分かりやすく表現すると、能楽関係者から、それは「違う」とお叱りをいただくかもしれない。舞は「舞」、謡は「謡」、囃子は「囃子」という言葉も財産として継承されているものの一つと言われるだろうが・・・。

 

その中で「謡」は、能の声楽にあたる部分で、演じるストーリーの台本ということになる。謡は登場人物の台詞と地謡(じうたい)とよばれるバックコーラス部分を含めた、能において言語で表現される部分の総称といえる。能の場合にはこれに特殊な台詞回しや節が付けられている。それにより能独特の雰囲気がつくられる。

演能の時だけではなく、囃子なしで単独でうたうのを素謡(すうたい)という。いまはそれだけを稽古されている方たちも多いと聞く。声をお腹から出す、この練習が健康に良いというのが理由のようである。

写真にあるのが観世流に継承されている謡本の種類の一つである。見てのとおり、いまでも特漉(とくすき)半紙判の伝統的和綴製本で表紙が金千鳥である。各曲に作者をはじめ構想、資材、曲趣、解説、装束、そして演出等々が記されている。この謡本にしても、昔からの形体を崩さず受け継がれている。

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