ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

三木の五大金物、国の伝統工芸品に指定。

2017-07-08 21:47:53 | 匠の技
兵庫県三木市と言えば、”播州の打刃物(主に大工道具類)の金物”の町としてが知られている。
とくに三木の五大金物として、鉋(かんな)、鑿(のみ)、鋸(のこぎり)、鏝(こて)、小刀(こがたな)は国の伝統工芸品に指定されている。

国内で古式鍛錬打刃物をつくる鍛冶職人さんは極めて少ないといわれている。そんな中でも「伝統工芸士」と言われ方々は貴重な存在である。

先日、三木市の道の駅の二階に常設展示されている打刃物金物を見せてもらった。
鉋コーナーでは、伝統工芸士の今井重信さんの鍛錬された極めつけの逸品があった。
寸八の鉋が、21万円代の値がついていた。

いまの大工さんの仕事現場は詳しくないが、現場で鉋削りをして姿を見たことがない。柱用の角材は、事前に決まった寸法に削られた角材を持ち込みはめ込むだけのようである。
職人仕事では、鉋や鑿は無用の長物になっている。

いまの職人さんにしても、仕事はスピーディに簡単にが求められている。致し方ないが、職人の技や感などの技能は活かされない。

1ミリ、1秒、1gを活かす技は、機械やコンピュータにも負けないはずである。そんな匠の技が必要とされる時代がまた来ると、道具を見ながら思った次第である。













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「匠の技」に人気が集中。ブログランキングトップ3

2017-02-07 11:43:44 | 匠の技
2005年11月5日に書いた「So-netブログ」がブログ第一号である。その第一号は、いまでもよく覚えているが「音と舞で小宇宙の世界がー」といタイトルのもの。西宮市の大谷美術館で雅楽演奏と舞いのイベントをプロデュースさせていただいたものを紹介した記事だった。

ということは、ブログを書き始めて12年が経ったということである。飽きずによく書き続けているのに自分ながら驚く。いまではいろんなところのブログを作成し楽しんでいる。12年も続けている「So-net」では、書いた数が1347コラムに及ぶ。年間平均すると約113。3日に一度のペースで書いていることになる。

先日、小生の「So-netブログ」の閲覧数を調べてみた。その中から閲覧数が多い順上位20位までを拾ってみた。カテゴリー別に分けて掲載しているが上位3位までが同じカテゴリーで書いたものである。その他の上位のものを観ていると、いろんな傾向が見えてくる。今後、その傾向を参考にしながら続けていくのも楽しいと思っている。

ちなみに上位3位までを紹介すると、
1位が「「ODAモデル」が、さらに進化する。東大阪のゴルフパターづくり名人。」
http://nagomian.blog.so-net.ne.jp/2011-06-22
2位が「何十年も使い続けられる「おろし金」を造る。」
http://nagomian.blog.so-net.ne.jp/2011-05-28
3位が「銅の特性を生かして造る銅鍋は、叩いて硬くする。」
http://nagomian.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20

これらの3記事ともカテゴリーとしては「文化想造塾<逸品殿堂>」というもので、すべてが大阪の町工場の職人とその匠の技を紹介した記事である。1位と2位は、飛び抜けて閲覧数が多い。いまだに毎日の閲覧数で上位にランクされ続けている。

日本の伝統技術は「知恵」と「工夫」と「緻密」と「こだわり」で成り立っているといっても過言ではない。そしてその上に「進化」が加わっている。だからこそ"技術大国 ニッポン!"の名は揺るぎないものになっているのではないだろうか。
今回の上位にランクされるもののほとんどは身近なものばかりである。こんなモノにこんなワザが施されている。これが"ニッポン"なんだと改めて思った。













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ODAモデル、パターの違いを見せつける。

2017-01-25 21:13:54 | 匠の技
今回の【逸品殿堂】に登場するのは、東大阪の町工場で造られているゴルフクラブの「パター」。

ゴルファーの多くはドライバーやアイアンにこだわっても、意外にもパターには無頓着だ。しかし、プレー後は"あの3パットがなければ"、"あの10㎝が入っていれば"というのをよく耳にする。
グリーン上でのパッティング勝負にはパターの良し悪しが結果を左右することもしばしば。

そこで、20年くらい前から、世界一のパターづくりを目指している職人さんが東大阪いる、ということで訪ねた。その人が小田武彦さん(68歳)。東大阪の町工場、布施製作所の社長さんである。小田さんは精密機械メーカーのサラリーマン生活を送ったあと、43年に独立創業。金型や冶具設計製作などを手がけている。

その小田さんとゴルフの出会いは、20数年前にゴルフメーカーから、パターを造ってもらえないか、というのがきっかけである。メーカーが求めたものは、通常の金型に鉄を流し込んで造るものではなく、新しい製造方法はないかということで、小田さんに白羽の矢がたった。

通常のものは、フェースの部分とネックは溶接で接合している。そこで、小田さんが息子さんたちを巻き込んで考えたのが、ネック部分までのサイズの軟鉄の一塊を機械で削り出す一体成型のモノである。だから曲げ加工は一切していない、という削り出しパターを造った。

それが評判を呼び、多くのゴルフメーカーからパター製作の依頼が増えていった。その削り出したパターに名前がついた。「ODAモデル」と。それがプロやトップアマチュアの選手たちに評判を呼ぶことに。そのお陰で、多くのアスリートと出会った。自宅の壁には所狭しと有名人との写真が飾られている。
ジャンボ尾崎プロ、王貞治さん、有名なプロゴルファー、元プロ野球選手や関取などなど多種多彩な人たちと「ODAモデル」を通して交友関係が広がっていった。

最近、開発したのがこれだ、という自信の逸品を見せてくれた。それは、いままで見たことのないパターであった。ヘッドからシャフトが真っ直ぐ伸びている。シャフトを持って上から見ると、ヘッドの上から下までが丸見えになっている。「見やすい」。この一言につきる。見えることによってパッティング時にバランスが取りやすい。いまこれを試している段階だという。

プロの人たちが、この東大阪の町工場に顔を出す。小田さんが言うには、パットの調子が悪くなるとよく来るみたい。自宅の3階がパターを試すパッティング練習場になっている。道具もさることながら、小田さんとのゴルフ談義を復調のきっかけにしよう、という狙いもあるとか。

小田さんは、常に挑戦の人である。そんな印象をうけた。できない、ということを言わない人である。いままでの経験と、新しさを考えて前に進んでいく。オンリーワンを目指してチャレンジがつづく。それも世界へ!



小田さんとご子息


写真 向かって右から42,000円 36,000円 一つ置いて100,000~120,000円(フェースなど24K) 28,000円 左端が「TAKEHIKO ODAコレクション」
左端が、最新のモデル(逸品)




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堺市の伝統産業「堺刃物」は世界有数のブランド。

2017-01-24 14:02:51 | 匠の技
そのむかし、大阪の堺は、日本でも有数の港町として栄えた。海からの荷物が上がる拠点が堺だった。そして大坂(大阪)へ、京へと運ばれて行った。堺の港から大坂(大阪)の道修町や北浜までの街道が、いまの大阪の南北を走る幹線道路、堺筋である。堺筋は堺から大坂(大阪)までの主要街道だった。
当時貿易港として栄えた堺にはモノが集まっていたことから「モノの始まりは堺から」とよく言われていたようだ。その名残でいまも堺には数々の伝統産業が息づいている。その代表的なのが「包丁」である。

「堺刃物(包丁)」はブランドとして知名度がある。包丁、といえば堺、という認識は高いようである。堺打刃物の起源は古く、堺にある世界最大の前方後円墳で有名な仁徳御陵築造の頃にさかのぼる。当時、この大規模な工事のために必要な土木器具のクワや鋤が大量に必要になりそれらを生産するために全国から鍛冶職人が集まり集落をつくり住みついた。その後、ポルトガルからタバコが伝来し人々の間で広まりそれに伴いタバコの葉をきざむ包丁の需要が高まり、鍛冶職人達がその製造に着手し、その製品の優秀さが当時の江戸幕府に認められこれを幕府専売品として堺極と刻印し全国に広まっていった。

パンフレットには「打刃物」とか、「刃付け」という風に表記されている。「包丁」という表現があまり使われてない。門外漢にとってはよくわからない。尋ねてみると、堺の包丁は「分業制」になっている、という。鉄と鋼を叩く鍛冶屋作業を「打刃物」という。刃付けというのは「研ぐ」作業のことをいう。そして柄付けや販売をする「問屋」というのに分かれている。
この3つの作業の製作がすべて堺で行われているものを”堺ブランド”という。しかし、いま一般では「堺包丁」として売られているほとんどは純粋の”堺ブランド”ではない。まして一本一本丹精こめて叩いて研いで造られている包丁も少なくなっている。

今回、訪れたところは「榎並製作所」という打刃物専用の鍛冶屋さんで。現在は榎並正さん(49歳/写真)が一人でコツコツと造りあげている。正さんで4代目になる。先代の父親の姿をみて、小学生のときから鍛冶屋になる、と決めていたという。大学を卒業しそのまま父親に弟子入りし、それから27年が経つ。
榎並さんが造ったモノはすべて東京で売られている。釜でコークスが燃え盛る中に細長い鉄を入れて700度くらいまで焼く。真っ赤になった細長い鉄棒の先に鋼を重ねて再び釜の中へ。その鋼が刃の部分である。鉄と鋼の燃える色合いをみる。叩く(打接)のにベストの温度が1100度くらい。
釜から取り出すタイミングは感覚というか、長年の経験によってはかる。その温度が1100度くらいらしい。この温度を間違えるといい包丁はできない、という。取り出してすばやく自動の叩く機械にはさむ。速度や間隔は足で踏むペダルで調整する。見る見るうちに長く伸びていく。そして叩くことによって鉄と鋼の間の不純物が取り除かれ、くっついていく。この一瞬の作業がものの見事に進むのは、長い経験の賜物だろう。

今では、子供たちの授業の一環として見学に訪れたり、実際に包丁を作ったりもする。「堺市にはこんな伝統産業があるんだ」ということだけを学ぶのではなくて、モノづくりの大変さを学んでほしい、と榎並さんはいう。それが、モノを大切にする気持ちへとつながっていくはずだ、と力説する。
効率、コスト、合理性、便利、簡単、というコンセプトで造られるものからには、モノを大切にする心は育めない。これから必要なものは”職人魂”のような気がしてならない。

記事は2012年に取材したもの。








写真の刺身包丁は、1本20万円


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お初天神に、まわして難を転じる「難転石」が・・・。

2017-01-23 14:47:34 | 匠の技
初天神の境内に「お初」と「徳兵衛」のブロンズ像が建つ一画がある。
「露天神社」は、創建され千三百年の歴史をもつ古社で、「天神」の名の通り菅原道真公を祀っているが、他に祭神としている大神がある。それは少彦名大神、大己貴大神、天照皇大神、そして豊受姫大神の大神々。
このうちの大己貴大神(おおなむちのおおかみ)は、出雲大社のご祭神の大国主大神(やおおくにぬしのおおかみ)の別名で、縁結びの神様でもある。
ただ単に、お初と徳兵衛の情死の場所としての所縁があるだけで"縁結び神社"として人気を得ているわけではない。

その一画に、ちょっと不思議な円形の石が流れるように回転している。
「難転石」というものらしい。調べてみると、水の力で回転している。
この石を手で縦横にまわすと、スムースに思うようにまわってくれる。楽しいので何度もしてみた。ただ楽しんだだけで、まわす前にちゃんと知識を得てまわせばよかったと反省。"難を転じてくれるようにお願い"しながらまわすものだ、と。
まぁ、次回参拝させていただいたときは、実践してみよう。






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