ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

生活スタイルにあわせ 【土御門仏所Ⅱ】

2022-08-25 15:51:24 | 日本の伝統技術

仏師、三浦耀山氏の工房を訪ねた際に、壁にこのような可愛らしい仏像彫刻作品が飾られていた。飾り物としてのものかと思いきや、壁に沿って下には、お輪にりん棒とお線香皿が台上に置かれていた。すべてを取っ払った仏壇ということのようだ。台上に写真を飾れば、毎日お参りができる。

 

仏像としては、家に伝わる信仰宗派の本尊、亡き人の信仰本尊、好きだった仏像などを飾れば毎日の祈りの対象になる。

今ではいろんな生活スタイルがあるのと同じで、こういう形もあってもおかしくない。

 

 

リポート&写真/ 渡邉雄二

 

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

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こんな専門学校は、京都祇園ならでは

2022-06-17 14:29:15 | 日本の伝統技術

京都・花見小路を歩くといつも見に留まるのが「八坂女紅場学園(やさかにょこうばがくえん)」の掲示板。ある飲食店の玄関先に掲出されているが、通るたびについつい見てしまう。とくに学園や学校に関係しているわけでもないのに。

その掲示板は学園が経営する祇園女子技芸学校の今月の稽古日のお知らせである。関係者以外にはまったく不要な掲示板だけど、なぜか目に付くように花見小路通り沿いに誰にも見えるように掲出されている。

 

        祇園女子技芸学校は祇園甲部歌舞練場の中に併設

 

この祇園女子技芸学校は、京都市東山区祇園町南側の祇園甲部歌舞練場の中に併設されている教育機関である。いま風にいうなら芸・舞妓さんのための専門学校のようなもの。同校の必須科目は舞(井上流)・鳴物・茶道・三味線。そして能楽・長唄・一中節・常磐津・清元・地歌・浄瑠璃・小唄・笛・華道・書道・絵画など、座敷芸事には欠かせないもの身につけるため多岐にわたる。生徒は祇園の芸・舞妓さんの全員で、年齢は15歳から80過ぎまでと幅広い。

 

      祇園女子技芸学校のスケジュールボード

 

花見小路の表通りの掲示板には、科目、教授名の札が掛けられ、日程は白墨で書かれている。掲げられている理由は、芸・舞妓さんへのお知らせというのもあるだろうが、想像の域であるが芸・舞妓さんにしっかりと科目ごとに芸事を教えている、というアピールなのだろう。

掲示板の中で、目が留まるのが「教授」の方々の名前。舞踊科のトップには人間国宝の井上八千代さんの稽古日程がある。それも一番多いスケジュールになっている。

また、能楽科では片山九郎右衛門さんもスケジュールが書かれてある。そして各科目も超一流の指導陣が名を連ねる。こんな方々が先生というのは、やはり祇園ならではの格式なのだろう、また京都花街としてのプライドなのかもしれない。

 

            祇園女子技芸学校の出入り口

 

時代が変わっても、京都祇園の風土は変わらない。むかしの慣習がしっかりといまに伝えられている。その祇園の厳しい世界に挑戦する若い娘さんたちも増えてきているという。女性の「なりたい職業」、「憧れの職業」に一歩ずつ近づいているような気がする。祇園花街の世界が、見通し風通しがよくなってきたからなのだろうか。

 

               稽古に通う舞妓さん

 

リポート&写真/  渡邉雄二

 

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尾道・文化紀行  https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

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伝統を受け継ぐ流儀 「刺繍打敷の技」

2021-11-07 13:09:39 | 日本の伝統技術

 

先日、京都へ行った折に、久しぶりに刺繍打敷の工房「和光舎」の三条店に立ち寄った。

以前、紹介したことのある京都の刺繍工房である。全国でも珍しい刺繍専門の修復事業を手掛けている。

工房は年間約100枚以上の修復依頼があり、100年、200年前に作られた古い刺繍を中心に修理修復作業を行っている。

 

先日伺ったときは、ある寺院の本堂に掛けてあった孔雀の刺繡入りの敷物を修復中だった。

この敷物(写真)は120年ぶりの修復ということだった。孔雀が羽を広げた刺繍もの。

孔雀の本体や羽の部分で修復が必要なところは、その場の色に併せ新しい絹糸(各色)でひと針ひと針手刺し補正していく。

そのまま使える部分は切り取り補修し、その部分を重ねつなぎ合わせていく気の遠くなる作業である。

 

 

日本の絹糸を使った職人技の妙技としか言いようがない。

むかしのモノを残し伝えていくには職人の技と同様に、当時のその刺繍情報をしっかり理解することが肝心。

それをベースに伝え継ぐ熱い想いをもって臨まなれれば、

これから100年、200年、それ以上の年月に耐えるモノを作ることはできない。

それが伝統を受け継ぎ活躍している方々の仕事の流儀に違いない。

 

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畳にも日本の伝統技術の神髄が見える。<温山荘園追想>

2021-05-26 15:42:26 | 日本の伝統技術

先日、煎茶会の下見で和歌山県海南市にある、国の名勝「琴ノ浦温山荘園」を訪ねた。

この建造物は元々、ゴム製品をグローバルに展開するニッタ株式会社の

創業者、新田長次郎翁の別荘だったところ。

個人所有だったとはとても思えない1万8千坪の広大な庭園の中に主屋、茶室、浜座敷など

様々な建物が点在する。現在は公益財団法人が設立され管理されている。

 

 

それらの建造物や庭園は明治の終わり頃から大正初期にかけて建造、造園されたもので、

随所に日本の伝統的な技術、知恵が生かされた建築物やモノがたくさんある。

以前に紹介した浜屋敷の襖絵も貴重な文化財である。

その中で、写真にある「畳」もその一つ。過去に見たことがない畳の形状に驚いた。

通常の畳とは少し違う。まず幅が広い。そして中央部分が微妙に盛り上がっている。

一緒に視察した茶室や和建造物の手掛ける専門家によると、

畳の中央部が、い草が織りあい重りあって継がれているので少し盛り上がっているという。

これを「中継ぎ六配表(中継表)」の畳ということである。

「中継表」というのは、い草の軸の太い部分、つまり良い部分だけを使うため短いものになってしまう。

それを畳の両サイドから織り中央部で継いだものである。

畳は一般的なものが95㎝幅、四配といわれるものが101㎝、六配が106㎝。

温山荘の主屋には中継六配表という畳が敷かれてあった。

 


こういった畳が使われているのは、ほとんどが国宝や重要文化財に指定されている建造物。

温山荘は、最高の技術を駆使して造り上げられている大正初期の建物なので、細部にわたりこだわりがみえる。

畳も去ることながら、襖、障子、硝子の形状や材料なども粋を極めている。

今回は、興味を惹いた「畳」を少し調べてみた。

い草の産地として広島県備後地方のものが昔から最高級のものとして使われていたようだ。

中継ぎ六配表の畳は、昔は手織り機械でしか織ることができなかった。

手織りだと1日2、3枚しか織れない。今では手織り職人さんもいないという。

現在は備後地方の企業が「動力中継ぎ」の機械を独自で開発し、

日本国内の文化財等で使用される畳の生産や修復に役立っているという話を聞いた。

 

 

日本の伝統文化は、中国大陸から伝承されたものが多いが、畳、襖や障子は日本古来の独特のものである。

しかし、現在の生活空間にはそういうものがほとんど使われなくなっている。

こういう機会を得て、畳や障子、襖がある空間に身を置くと、なぜか身も心も落ち着く。

 

※この記事は、2016年9月「心と体のなごみブログ」に掲載したものをリライトし転載

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