伊藤若冲は、江戸時代に京都で活躍した絵師で、前回紹介したように京の台所である錦市場の青物問屋(今でいう八百屋さん)「桝屋」(ますや/3代目)の長男として生まれ、一旦は4代目枡屋源左衛門として青物問屋を継いだものの、相国寺の大典顕常和尚から絵の才能を見出され、同じ時期に相国寺にて出会った煎茶道の祖である高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)ら文化人との交流も深まり絵師を生業にした。
先日、京都 宝蔵寺の寺宝展を観にいき、伊藤若冲と弟子たちの若冲派の作品を鑑賞。弟子の一人といわれている意冲筆の初公開作品の「菊慈童図」をはじめ、若冲の「竹に雄鶏図」と「髑髏図」など十数点が展示されていた。
その中で、やはり目に留まったのが若冲の「竹に雄鶏図」のシリーズの一枚である。8年前この作品が若冲筆のものであると認定されて以来、表具を一式新調し同寺院や若冲展覧会では展示されるようになった。今回、鑑賞したのは2回目である。
若冲が得意としている鶏の中でも、この絵は墨のみで描かれたもので、羽の質感や色などの違いを、墨の濃淡や筆致を変えて表現している。墨がどのくらい滲むかという計算をした上で描いている。「白と黒」、「線と面」の対比が特徴的である。
本紙サイズが通常のお軸よりも大きく、元は押絵貼屏風として描かれたものということのようだ。
竹に雄鶏図
そして、もう一つの「髑髏図」は、若冲の作品の中でよく見かける拓版画という技法を使っている。絵柄を凸版でつくり、その上に紙をのせ彫った部分を白く残す技法である。 その髑髏図もさることながら目に留まったのが、若冲の心の支えになったといわれている売茶翁の賛である。書かれてある文字は下記の通り。
「一霊皮袋 皮袋一霊」(いちれいひたい ひたいいちれい)
髑髏も人であり、その逆も真である
その姿を変えても人は人であり、髑髏は髑髏である
という内容の禅語である。人が死んだときに髑髏がよく登場する。生きている時は心も体も皮袋にいっぱい詰まっているが、亡くなった時は空っぽに。それを、髑髏をモチーフに表現した作品である。若冲をよく知る売茶翁ならではの言葉が絵の中に溶け込んでいる。
髑髏図
次回は、弟子たちの作品
リポート&写真/ 渡邉雄二 場所/ 宝蔵寺 写真/ 宝蔵寺了解で撮影掲載 Reported & Photos by Yuji Watanabe
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