ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

壮大なる歴史のあかし 【東寺-国宝五重塔-】

2023-02-07 09:52:59 | 歴史建造物

世界文化遺産の東寺伽藍の中でひときわ目を惹く五重塔(国宝)。
初層内部には、心柱(大日如来)を中心に、阿弥陀如来、阿閦如来、法生如来、不空成就如来の金剛界四仏と八大菩薩が四方に向いて鎮座されている。

4度の焼失にもかかわらず、空海の壮大な想いを引き継ぐ僧侶たちが再建してきた。今の五重塔は、1644年に再建され5代目にあたる。その壮観たる姿は心底美しい。

 

 

 

 

リポート&写真/ 渡邉雄二

 

#東寺 #世界文化遺産 #空海 #歴史のあかし #五重塔 #国宝 #大日如来 #阿弥陀如来 #阿閦如来 #法生如来 #不空成就如来 #再建 #5代目

 

#尾道 #尾道観光 #尾道千光寺 #尾道文化紀行 #尾道観光大志 #仏画曼荼羅アート #佛日寺 #福泉寺 #渡邉雄二 #心と体のなごみブログ #ライブインテリジェンスアカデミー

 

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

任天堂の原点!威風堂々たる存在。 雰囲気は残し「かるた」から「ホテル」へ 

2022-10-21 14:59:21 | 歴史建造物

大手ゲームメーカーとして世界のゲームファン魅了する任天堂(Nintendo)。その聖地といえる京都市下京区にある旧本社ビルが、今年の4月にホテルに生まれ変わった。ホテル「丸福樓」という。

任天堂発祥の地である、大正ロマンを色濃く残すビルヂィングを初めて見たのは4年前。当時は空きビルで厳重にロックがなされていたので内部を窺い知ることはできなかった。鴨川にほど近い七条通と五条通の間の、正面橋を西に入った住宅の路地裏の一角に、堂々たる近代的建造物がそびえ建ち目を惹く存在だった。
当時、正面玄関に看板がかかっていた。"トランプ・たるか"と妙な文字の看板があり、その下に「堂天任内山」と古さを感じさせる右から読む漢字の看板が掲出されていた。

 

いまは誰もが知る世界のゲームメーカー「Nintendo」として君臨しているが、創業当時は 「かるた」と「トランプ」といったカードの製造がメインで、その中でも「花札」の生産が多かったと聞く。プロの方たちが使うカードとして、一度使ったカードは二度と使わないというしきたりがあったようだ。そのためか注文がひっきりなしに入ってきたという話も聞いたことがある。

山内房治郎氏が明治22年に創業し日本一のカード製造会社までに押し上げていった。そして、2代目社長が「合名会社山内任天堂」と「株式会社丸福」を設立し、現在の任天堂へとつながっていった。その原点の地がここである。

 

旧任天堂本社ビルがホテル「丸福樓」に生まれ変わった

ホテルエンタランス掲げられている昔の看板

 

その任天堂創業の地として残る旧本社ビルが、今春にホテル「丸福樓」としてスタートした。昭和初期に建てられたアール・デコ風の建物の雰囲気をできるだけ残しながら増改築(設計監修は安藤忠雄建築研究所/施工は大林組)し、レストランやバーを備え、7つのスィートルームを含む豪華な部屋が18室で構成され、歴史を語れる新しい空間に生まれ変わった。

数年前から京都ではホテルラッシュで沸いたが、新型コロナウィルス感染で国内外からの観光客はゼロに近い状態になったが、やっとこの秋より明るい兆しが見えてきた。

これからの新しい時代のホテルとして、この丸福樓が歴史の中で築いた世界の「任天堂ブランド」の神通力を見せる時がきた。

 

丸福樓が改装にあたりもっとも大事にしたことが建物の雰囲気をできるだけ残すことを主眼に置いた。建物の構造には大きく手を入れず、当時の建物構造を残しつつ部屋や施設、設備等を用意した。残された貨物用エレベータはモニュメントとして残され、当時の面影を感じるように。当然、階段も当時のままの構造で細くホテルとして見れば不便だが、歴史を語れるホテルとしてあえて不便性を優先した。

もとの建物は、事務所や作業場であった社屋、真ん中に位置する創業者である山内家の元住居、そして一番奥の商品を保管していた倉庫、と大きく分けて3つで構成されていた。これらをリノベーションし、ホテルへと作り変えたのが現在のホテル丸福樓だ。事務所のあった社屋を「スペード棟」、かつての山内家の住居を「ハート棟」、倉庫を「クラブ棟」に、そして増設された新棟を「ダイヤ棟」という名称にした。任天堂ならではのユニークな発想がここにも息づいている。

 

昔の荷物用エレベータがモニュメントに

 

元は会議室だった場所に作られたラウンジの椅子はもともとこの部屋で使われていた年季が入っている逸品もの。エントランスの古時計も当時から残されたもので、ねじ巻き式時計らしく時間がずれがちだが、大きな役割を果たしている。役割を終えたはずの電灯のスイッチを壁から外さず残しているところもおもしろい。この存在がホテルになる以前の姿を想像させてくれる。

丸福樓は京阪七条駅近く、正面通という観光客にはほとんど知られてない狭い路地裏通りに面している。この辺りは住宅も多く、喧騒からは少し離れている。周りの住民の方からは、あの建物が生かされ動いてこそ活気が出るという。ホテルはいろんな意味で地域に貢献してくれている。うちが作るおかきもホテルで使ってくれているし、この路地裏が明るくなったよ、と大歓迎ムードである。

京都駅に近いことからホテルも多く、京都観光というだけならばほかに選択肢はいくらでもあるだろう。だが、任天堂ファンにとっては、このホテルは “任天堂ヒストリー” の聖地。これからのホテルの姿の第一歩として、新たな存在感をつくり上げていくはずである。

 

むかし使われていた紙を使って作られた鳥の造形物

会議室だったところをホテルのラウンジに

 

リポート&写真/ 渡邉雄二

 

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シンメトリーの世界「平安神宮が宇宙空間」

2022-05-12 15:08:10 | 歴史建造物

 

広い境内を有する神社や寺院では左右対称の建造物が多い。「シンメトリー」を意識することで安定した調和感やはっきりとした規則性が感じられ、なぜか安心感を覚える。西洋でも東洋でも左右対称の幾何学性のあるものに古くから価値が見いだされてきた。美しさの基本は調和、安定、合理性はどこにおいても同じである。一方、自然の中には対称形のものなく、その非対称の美しさも日本では受け入れてきた。

 

左右対称の代表的な建造物のひとつである「平安神宮」はご承知の通り、平安京大内裏(だいだいり/宮城)の正庁を模して造られた朱塗りの日本を代表する應天門や大極殿の美しさが際立つ。應天門くぐり砂利がひかれた広い空間の正面には大極殿が見える。その景色は朱に彩られている別世界のようだ。建造物自体もそうであるが建物配列すべてがシンメトリーである。大極殿を中央に、左に白虎楼、右に蒼龍楼があり、そして應天門に近い左には額殿、右に神楽殿がある。

 

砂利がひかれた広い空間の中央に立って回転して見ると、幾何学的で規則正しい景色は地球から見える “朱の宇宙” のよう。この空間も、またさらに奥の空間にも我われの目に見えない何かが存在しているかもしれない。そんなことを想い巡らして眺めるのも実に楽しいものである。

 

中央が大極殿、左が白虎楼、右が蒼龍楼

左が額殿

右が神楽殿

大極殿の反対の應天門

大極殿

白虎楼

蒼龍楼

 

リポート&写真/ 渡邉雄二

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

官兵衛から中村陸軍大佐まで、姫路城歴史秘話ヒストリア。 

2020-10-12 14:32:37 | 歴史建造物

5年半をかけて大天守保存修理工事が終わり、新生・姫路城(白鷺城)が姿を現したのが2016年の春。その一年前、NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」が放映され、官兵衛の生まれ故郷である姫路や播磨地域が一気に注目を集めるようになり、翌年の姫路城再生オープンへと繋がった。見事に仕組まれたメディア、地域熱、そして再生への流れが功を奏し、姫路城は連日行列が続いた。

「軍師 官兵衛」さんのお陰で、姫路城に関心をもった方たちも多いことだろう。私もその一人である。訪れた際に、城内で戦国時代の歴史ヒストリアとは少し異質な石碑を見つけた。石碑には「陸軍省 中村重遠大佐」と刻まれていた。
後で調べてみると、姫路城が存続しているのは、この中村大佐のお陰のようである。1878年、神戸清一郎が姫路城を手放すにあたり、中村重遠陸軍大佐が、陸軍卿 山県有朋に姫路城の存続を申し出たことによって存続することになったという秘話ヒストリアである。
(資料には、1871年に神戸清一郎氏が姫路藩の姫路城競売により23円50銭で落札したと記されてあった。)

1346年、赤松貞範が姫山に砦を築いたのが姫路城のはじまりのようである。そして大河ドラマ「軍師 官兵衛」にあったように1567年に黒田孝高(官兵衛)が家督を継ぎ、1580年に官兵衛は秀吉に姫路城を献じた。
築城から670年の時を刻んだ姫路城。これからさらに歴史はどう刻まれていくのだろう。なにも変わらなく、平安の世のシンボルとして後世に残っていくことが誰もの願いである。

この記事は、2016年掲載したものに少し加筆した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白漆喰で、白鷺城の美しさが際立つ。【姫路城】 The white stucco highlights the beauty of Shirasagi(Himeji) Castle.

2020-09-03 10:20:15 | 歴史建造物

東へ上れば京都「東山」、西に下れば播磨「姫路城」。

こんな言葉が、私の散策散歩の定番フレーズになっている。

私の仕事の都合で、昨年までは京都、姫路などに行くことが多かったため、この散歩コースが定番になっていった。京都は言うまでもなく大好きな街であるが、姫路は、平成の大改修で天空に浮くかの如く美しさを際立たせている姫路城の姿に惹かれ、姫路を訪れた際は、必ずと言っていいほど近くまで行き眺めては楽しんでいた。

掲載されている写真は2014年に行った時に撮った姫路城である。来年(2015年)の3月27日が姫路城大天守の改修のお披露目が行われると聞いている。今年(2014年)すでに大天守の覆いはとれ、秋空に浮いているかのように五重層の大天守は白く輝きをはなっていた。まさに「白鷺城(はくろじょう)」の復活であった。
白鷺城の由来は、資料によると「姫路城が「鷺山(ろざん)」に置かれているところから」、「白漆喰(しろしっくい)」で塗られた城壁の美しさから」、「ゴイサギなど白鷺と総称される鳥が多く住んでいたから」、「黒い壁から「烏城(うじょう)」とも呼ばれる岡山城との対比から」と諸説あるようだ。
また、一般の呼称では「白鷺城(しらさぎじょう)」と言われることが多いが、これにも諸説あるようだ。日本の城郭の異称は音読みするのが学術的には普通のようなので、「白鷺城(はくろじょう)」と呼ばれるようになった。



見るからに白い。遠目でみればなお白さが際立つ。屋根までが白く見える。屋根が白く見えるのは、瓦にも白漆喰が施されているからである。丸瓦の接合重ね部への目地漆喰の仕上げで、端部のひねり掛け(漆喰の上塗りの際の左官職人の技)を行っているから白が浮き出ている。面土漆喰(屋根台の土にあるがあたらないようにする)や鬼首漆喰(鬼瓦の付け根に塗る)などの瓦止めの機能のほか防水性をより強度にしている。
何百年の期間を耐えられるようにするための工夫が随所に施されている。これが歴史を築いていく材料や技である。その知恵の結晶が日本の独特の、絶妙なる美しさを生み出しているのだろう。

Go east to Kyoto "Higashiyama" and go west to Harima "Himeji Castle".

These words have become a standard phrase for my walks and walks.

Because of my work, I often went to Kyoto, Himeji, etc. until last year, so this walk course became a staple. Kyoto is, of course, my favorite city, but Himeji is attracted by the appearance of Himeji Castle, which stands out in the sky as if it were floating in the sky in a major renovation of the Heisei era. I enjoyed watching it as close as I could.

 

The photo posted is Himeji Castle, which I took in 2014. I heard that the renovation of the Himeji Castle Great Tower will be announced on March 27th, 2015 (2015). This year (2014), the large castle tower had already been uncovered, and the five-story large castle tower was shining white as if it were floating in the autumn sky. It was a revival of "Hakuro Castle".

According to the sources, Hakuro Castle is derived from "the place where Himeji Castle is located at "Rosen", "the beauty of the walls painted with white plaster", "Goisagi etc." It is said that there are many birds known as Shirasagi inhabited, and "From the comparison with Okayama Castle, which is also called "Ujo" because of its black walls".

In addition, it is often called "Shirasagijo" by the general name, but there are various theories about this. It is academically common to read the synonym of Japanese castle walls, so it has come to be called "Hakujo Castle".

 

It is white to see. The whiteness stands out from a distance. The roof looks white. The roof looks white because the roof tiles are also white plastered. The finish is a joint plaster on the joint stack of the round roof tiles, and the end is twisted (the technique of the plasterer when plastering the plaster), so white is exposed. In addition to the function of stopping roof tiles such as demonstrating that it does not hit) and demon neck plaster (painting on the base of the demon roof), it is made more waterproof.

There are many ways to make it last for hundreds of years. This is the material and technique that builds history. The crystal of that wisdom may have created the unique and exquisite beauty of Japan.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする