ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

間違いが故事に。「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」 【一茶庵 稽古追想】

2020-10-31 13:37:23 | 一茶庵「易社」

お軸(写真)に、このような詩が書かれていた。

幾日霜風木葉乾,湖山深處水雲寬

閒情每向無人得,落日孤亭枕石寒

 

風や霜がおり木の葉は乾き、

深い山、湖に雲が広がる。

この広いところに人の気配はない、

日が暮れひっそりとした小屋で石の枕が寒々しい。

 

この詩から想像すると、旅人が野宿に立ち寄ったのか、あるいは誰か寂しく隠棲しているか。どちらにしてもその情景が浮かんでくる。

中国の故事に、「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」という熟語がある。この意味は、自分の失敗を認めず、屁理屈を並べ言い逃れをすること。負け惜しみの強いこと。という意味である。

この言葉は、三国志に登場する西晋の政治家である孫楚が間違って、「枕石漱流」というべきことを「漱石枕流」と言い、間違えを認めず屁理屈を並べて言い逃れたことから、この「漱石枕流」がそのまま故事として使われるようになった。

ご存知、夏目漱石は、この故事を引用し、雅号とした。漱石自身も、名前につけるくらいこの故事が気にいっていたことになる。つまり、漱石自身も頑固で屁理屈が好きな人だったのかと想像してしまう。

煎茶の淹れ方の基本である、水から茶葉を煮る「煮茶法 」、湯から茶葉を煮る「烹茶法」、そしてその中間の「中煮法」がある。

それぞれの淹れ方で、秋月の輝きと美しさを想い浮かべながら夜長を楽しんだ。

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大阪食文化を育む「なにわの伝統野菜」を試食。 【ライブインテリジェンスクッキング】 

2020-10-28 15:22:17 | 食文化

10年程前に、料理講座を主宰していたことがあった。大阪北浜にある料理教室「和香」さんの田村先生の指導で魚類、野菜類に絞った料理講習会だった。

和香さんの通常の教室以外に、ライブインテリジェンスクッキングとして開講していた。「魚のさばき方」を学ぶために始めたがきっかけで、仲間7、8人に声をかけ、筆者も腕まくりしながら頑張っていた記憶がある。

その時のいくつかの楽しかったエピソードを交えて振り返り紹介したいと思っている。そのスタートとして、当時、話題になっていた「地場の伝統野菜」。伝統野菜、といえば「京野菜」が頭に浮かぶが、どこの都道府県でも地元活性化の旗頭として「地産地消」を訴えていた。

大阪でも同様に、府下で生産されている野菜のいくつかを「なにわ伝統野菜」としてブランド化を始めていた。いま現在では、大阪府、大阪市認証としては18品目がある。
大阪市内では「毛馬胡瓜(けまきゅうり)」、「玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)」、「勝間南瓜(こつまなんきん)」、「金時人参(きんときにんじん)」、「大阪しろな」、「天王寺蕪(てんのうじかぶら)」、「田辺大根(たなべだいこん)」、「芽紫蘇(めじそ)」、「難波葱(なんばねぎ)」の9品目。

天王寺蕪をペースト状にして火を通したもの/天王寺蕪を、圧力鍋で15分茹でたもの(型崩れなし)


大阪府下では豊能町の「高山真菜(たかやままな)」、「高山牛蒡(たかやまごぼう)」。吹田市の「吹田慈姑(すいたくわい)」、茨木市の「三島独活(みしまうど)」、高槻市の「服部越瓜(はっとりしろうり)」、泉州地域では「泉州黄玉葱(せんしゅうきたまねぎ)」、摂津市の「鳥飼茄子(とりかいなす)」、守口市の「守口大根(もりぐちだいこん)」、そして羽曳野市の「碓井豌豆(うすいえんどう)」の9品目が認定されている。

田辺大根、大阪しろな / 田辺大根

その一つ一つを先生から解説していただき、その料理方法を教わる興味深い講習会であった。その中からいくつかの食材を試食し、食材自体の味を楽しませていただいた。

いまの時期にあるものを先生の下味だけで賞味した。すべての食材が甘~い。こんなにも美味しいものか、と思えるものばかりだった。舌を巻く上品な味を堪能。大事に丁寧に育てられているのがよく伝わってきた。
まだまだごく一部でしか生産されてない。だからなかなか手に入りにくいものも多い。大阪で言えば木津卸売市場や黒門市場にいけば手に入ようだ。

食道楽といえば「大阪」。たこ焼きも、お好み焼きもそれぞれの文化ではあるが、素材にこだわる食道楽として「大阪食文化」の原点が見えてくるようだった。

大阪しろな(出汁と塩で、厚揚げと一緒にあえる) / 大阪しろな

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大阪の食文化の原点は「船場料理」にあり!! 船場地域ならではの工夫が随所に。

2020-10-27 13:41:43 | 伝統食

先日、あるお店で、船場汁なるものを食べる機会があった。そのお店の御主人曰く、昔、大阪の問屋街である船場で生まれた料理の一品ということだった。魚類と野菜類を煮込んで作る具沢山の汁のことをいうらしい。

塩サバの身、頭、中骨などを切り、コンブをいれて水から煮る。アラが出汁の決め手で切り身だけでは味が出ない。具が煮えたら醤油で味を整え、薬味としてネギを入れる。そしてサバの臭みをとるために、また冬には体が温まるので欠かせないのが生姜である。

頭や中骨などのアラまで余さず使いムダがないこと、単価が安いこと、時間をかけずに食べられ、体が温まることなどから、忙しい問屋街で重宝され定着したらしい。船場地域ならではの料理といえそう。

船場汁をいただいた際に、ちょっと古い話であるが「船場料理を楽しむ会」という講習会に参加したことを思いだした。当時、船場料理というものは聞いてはいたが、どういう料理を船場料理と言うのか、またどういう概念のものなのか、というのに興味を持っていた。

お話をしていただいたのが近江晴子さん。近江さんは長年大阪の町人の生活史を研究している方なので暮らしの中の食文化に精通されている方である。

よく聞く郷土料理や地場料理と同じようなものには違いないだろうが、大阪・船場という商売処の小さい限られた地域に根付いた料理である。
ご存知のとおり、大阪・船場は薬や呉服、材木、米などを扱う大棚が並び、旦那さん、御寮さん、若旦那にいとさん(お嬢さん)たち家族と、番頭さんや丁稚などの使用人が寝食を共にしていたとこである。

普段は質素な食事であったようだが、大棚になればなるほど毎月の行事が多く、その行事にはご馳走が作られていた。そのご馳走を作っていたのが仕出し屋。だから船場地域には仕出し屋がしのぎを削っていたという。

その仕出し屋が後に料亭になり、大阪の食文化の土台を築いていった。この船場の料理が、いまの京料理につながっていったというもの事実のようである。近代の、日本の食文化の原点が船場にあり、まさに暮らしの料理として生きているという。
船場に店を構えていた大棚の一年間の行事や節句にあわせ、大阪の地の食材を使って作ったものを船場料理ということになるのだろう。
料理の内容というよりも、船場の暮らしに根付いた食文化を「船場料理」という名で呼ばれているのだろう。

その時の体験会でいただいた「船場弁当」(写真)の料理を紹介します。



柿膾(なます)
河内蓮根 白和え
泉南 太刀魚塩焼き
大阪しろ菜 薄揚げ炊合せ
富田林 板持海老芋と旬野菜 煮しめ
むかご塩蒸し
さつまいもの密煮
田辺大根の菜飯 赤飯
昆布佃煮
玄のこ おはぎ

料理は浪速魚菜の会
調理 広里貴子さん
監修 近江晴子さん

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自然の光で見る、墨色の若冲。 

2020-10-26 20:45:25 | 文化想造塾「逸品殿堂」

数年前に、京都 宝蔵寺所蔵の伊藤若冲の「竹に雄鷄図」や長沢芦雪の「拾得図」、鶴亭浄光の「墨蘭図」などの作品を鑑賞する特別講座が、京都市所有の、第3代、9代の総理大臣を歴任した山縣有朋の別荘「無鄰菴」で行われた。

通常、伊藤若冲の絵を鑑賞するとなれば、博物館あるいは美術館がほとんど。蛍光灯などの灯りに照らされている場合が多い中で、その時の講座は、テーマが「日本の絵画を知るー"自然の光で見る若冲"」だった。それに惹かれ参加した。

 床の間に掛けられていたお軸は紅葉の絵。この絵を蛍光灯で見るのと、自然の光の中で見るのと明暗の違いが素人でもはっきりと理解できた。

 続いて本題の若冲の「竹に雄鶏図」を、今回の講座解説をしていただいた福田美術館学芸課長(当時/嵯峨嵐山日本美術研究所)の岡田秀之氏が、「3年前にこの作品が若冲筆のものであると認定されて以来、表具を一式新しいものにし、その初披露となります」と前置きし掛けられた。

若冲が得意としている鶏の中でも、この絵は墨のみで描かれたもの。描き方などを詳しく解説され、とくに尾羽根など墨がどのくらい滲むかという計算をした上で描いている、というのがこの絵の最大のポイントという。

その絵が、自然の光の中でどのように見えるかを楽しむのが今回の主旨。自然の光の中では明暗がよくわかる。それによって鶏の動きが見えてくるよう。

実際、若冲が描いたときは、ランプの灯りか自然光の中である。その灯りの中で墨の濃薄をつけて描いたものだからこそ、自然光で観るのがベストのように思う。若冲の墨色にこだわる想いが伝わってくるようだった。

絵の解説以外にも、表具や保存の仕方など多義にわたる解説も興味深い内容だった。

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「色即是空」を表現してみると。 空、つまり無がイメージに浮かんでくる。

2020-10-25 21:13:45 | 仏画曼荼羅アート教室

先日の仏画曼陀羅アート教室では、前回の課題が

「紙上枯山水庭園」の制作だった。

島々と白砂上に何かを表現するにあたり、

薬師如来像を一体入れることを必須にみなさん頑張られた。

多くが、自分の人生をダブらせながら思いを表現されていた。誕生から来世までをイメージした作品もある。

この機会だから少し考えてみた、と今までを振り返り、

これから死ぬまで残された人生を考えることができたと言う方など、さまざまだった。

そして今回、一日で完結する課題は「○△□」。

人が誕生し、○から始まり□、そして○になる。

○を空とし、人は成長ごとに角が増えていく。

最終はまた実体のない空になる。無になってしまう。

般若心経の「色不異空空不異色 色即是空空即是色」

につながる○△□を描いた。

また、枯山水庭園と同じように、

それぞれの想いや表現の違いが鮮明に。

楽しく取り組まれていたのがメチャ印象的だった。

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