ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

あの建物の中で、なにが行われているのだろう。

2017-01-29 11:46:38 | 近代建築物
全国の至る所に、重要文化財に指定された建物を含む近代建築物が多数存在する。関西でも、京都や神戸、そして大阪にも目立つ建築物がある。建築は門外漢である小生でも興味をそそる建物がいくつかある。その一つが「日本銀行大阪支店旧館」。堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島にあり、御堂筋に面し大阪市役所の西向かいにある。御堂筋に面している方が旧館で、中の様子が窺い知れないほどの存在感を感じさせる建物である。

日本銀行大阪支店旧館は、明治時代の建築界の第一人者である辰野金吾氏の設計による建物である。外観のデザインは、ネオ・ルネッサンス様式を主に取り入れている。ネオ・ルネッサンス様式っていってもちんぷんかんぷん。少し調べてみると下記のようなことが書かれていた。

装飾過多のゴシック様式に対して古典的スタイルをルネッサンス様式という。 特徴は左右対称、外壁に装飾が少ない。 中央に入口、左右に翼部を伸ばす。飾り柱が付けられていることも多い。などなどが特徴である。
15世紀から16世紀のルネサンス様式のリバイバルが19世紀終わりに起こり、それをネオ ルネッサンス様式という。(Yahooネットから)

ネオ・ルネッサンス様式を随所に感じさせる大阪支店旧館は、正面に玄関があり横に左右対称に建物が伸びている。そして飾り柱が目立つ。これもネオ・ルネッサンス様式に基づいたものなのだろう。外観はもちろんだが内部にも関心は及ぶが、当然ながら入ったことはないから全く見えてこない。

建物の威厳も去ることながら、日本銀行って何にをするところなんだろう? 幼稚な疑問ではあるが外観を眺めながら、そんな想いが頭をかすめた。小生の希薄な経済的知識では解説ができないので、日本銀行大阪支店のホームページをのぞいてみた。
すると小生でもなんとなく理解できる説明があったので、そのまま転載してみる。

日本銀行の役割を一言でいうなら「みんなが安心してお金を使えるようにする」ということらしい。これが冒頭に書かれていた。うんうん、と首を縦に振りたいが、よう解らん言葉であるが、その実現のために下記のような業務を行っている、と記してあった。
まず一つが「お札の発行と管理」。うんうん、と頷ける。二つ目が「物価の安定・金融システムの安定」とあったが、経済学を専門に勉強してないので、わからん! では通用しないのか。社会人として常用知識になっているようだ。どうしよ! 中身にふれず次に進もっと。三番目に掲げてあったのが「銀行の銀行・政府の銀行」とあった。一般の銀行がお金が足らなくなったときに日本銀行がお金を貸す役割(?)、といったことかな。最後が「災害時の拠点としての役割」と書かれていたが、あまりピンとこない。

あの砦のような建物を災害時に役立てようっていうのだろうか。普通には理解できないが、ホームページに記載してあるのだから本当だろう。災害時にしか中に入れないのかと思いきや、平日に一般開放しているようだ。もちろん事前の申し込みが必要である。

機会があれば、内部見学をしてみようと思っている。しかしもう少し、日本銀行の役割等を学んでおく必要がありそうだ。







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ODAモデル、パターの違いを見せつける。

2017-01-25 21:13:54 | 匠の技
今回の【逸品殿堂】に登場するのは、東大阪の町工場で造られているゴルフクラブの「パター」。

ゴルファーの多くはドライバーやアイアンにこだわっても、意外にもパターには無頓着だ。しかし、プレー後は"あの3パットがなければ"、"あの10㎝が入っていれば"というのをよく耳にする。
グリーン上でのパッティング勝負にはパターの良し悪しが結果を左右することもしばしば。

そこで、20年くらい前から、世界一のパターづくりを目指している職人さんが東大阪いる、ということで訪ねた。その人が小田武彦さん(68歳)。東大阪の町工場、布施製作所の社長さんである。小田さんは精密機械メーカーのサラリーマン生活を送ったあと、43年に独立創業。金型や冶具設計製作などを手がけている。

その小田さんとゴルフの出会いは、20数年前にゴルフメーカーから、パターを造ってもらえないか、というのがきっかけである。メーカーが求めたものは、通常の金型に鉄を流し込んで造るものではなく、新しい製造方法はないかということで、小田さんに白羽の矢がたった。

通常のものは、フェースの部分とネックは溶接で接合している。そこで、小田さんが息子さんたちを巻き込んで考えたのが、ネック部分までのサイズの軟鉄の一塊を機械で削り出す一体成型のモノである。だから曲げ加工は一切していない、という削り出しパターを造った。

それが評判を呼び、多くのゴルフメーカーからパター製作の依頼が増えていった。その削り出したパターに名前がついた。「ODAモデル」と。それがプロやトップアマチュアの選手たちに評判を呼ぶことに。そのお陰で、多くのアスリートと出会った。自宅の壁には所狭しと有名人との写真が飾られている。
ジャンボ尾崎プロ、王貞治さん、有名なプロゴルファー、元プロ野球選手や関取などなど多種多彩な人たちと「ODAモデル」を通して交友関係が広がっていった。

最近、開発したのがこれだ、という自信の逸品を見せてくれた。それは、いままで見たことのないパターであった。ヘッドからシャフトが真っ直ぐ伸びている。シャフトを持って上から見ると、ヘッドの上から下までが丸見えになっている。「見やすい」。この一言につきる。見えることによってパッティング時にバランスが取りやすい。いまこれを試している段階だという。

プロの人たちが、この東大阪の町工場に顔を出す。小田さんが言うには、パットの調子が悪くなるとよく来るみたい。自宅の3階がパターを試すパッティング練習場になっている。道具もさることながら、小田さんとのゴルフ談義を復調のきっかけにしよう、という狙いもあるとか。

小田さんは、常に挑戦の人である。そんな印象をうけた。できない、ということを言わない人である。いままでの経験と、新しさを考えて前に進んでいく。オンリーワンを目指してチャレンジがつづく。それも世界へ!



小田さんとご子息


写真 向かって右から42,000円 36,000円 一つ置いて100,000~120,000円(フェースなど24K) 28,000円 左端が「TAKEHIKO ODAコレクション」
左端が、最新のモデル(逸品)




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堺市の伝統産業「堺刃物」は世界有数のブランド。

2017-01-24 14:02:51 | 匠の技
そのむかし、大阪の堺は、日本でも有数の港町として栄えた。海からの荷物が上がる拠点が堺だった。そして大坂(大阪)へ、京へと運ばれて行った。堺の港から大坂(大阪)の道修町や北浜までの街道が、いまの大阪の南北を走る幹線道路、堺筋である。堺筋は堺から大坂(大阪)までの主要街道だった。
当時貿易港として栄えた堺にはモノが集まっていたことから「モノの始まりは堺から」とよく言われていたようだ。その名残でいまも堺には数々の伝統産業が息づいている。その代表的なのが「包丁」である。

「堺刃物(包丁)」はブランドとして知名度がある。包丁、といえば堺、という認識は高いようである。堺打刃物の起源は古く、堺にある世界最大の前方後円墳で有名な仁徳御陵築造の頃にさかのぼる。当時、この大規模な工事のために必要な土木器具のクワや鋤が大量に必要になりそれらを生産するために全国から鍛冶職人が集まり集落をつくり住みついた。その後、ポルトガルからタバコが伝来し人々の間で広まりそれに伴いタバコの葉をきざむ包丁の需要が高まり、鍛冶職人達がその製造に着手し、その製品の優秀さが当時の江戸幕府に認められこれを幕府専売品として堺極と刻印し全国に広まっていった。

パンフレットには「打刃物」とか、「刃付け」という風に表記されている。「包丁」という表現があまり使われてない。門外漢にとってはよくわからない。尋ねてみると、堺の包丁は「分業制」になっている、という。鉄と鋼を叩く鍛冶屋作業を「打刃物」という。刃付けというのは「研ぐ」作業のことをいう。そして柄付けや販売をする「問屋」というのに分かれている。
この3つの作業の製作がすべて堺で行われているものを”堺ブランド”という。しかし、いま一般では「堺包丁」として売られているほとんどは純粋の”堺ブランド”ではない。まして一本一本丹精こめて叩いて研いで造られている包丁も少なくなっている。

今回、訪れたところは「榎並製作所」という打刃物専用の鍛冶屋さんで。現在は榎並正さん(49歳/写真)が一人でコツコツと造りあげている。正さんで4代目になる。先代の父親の姿をみて、小学生のときから鍛冶屋になる、と決めていたという。大学を卒業しそのまま父親に弟子入りし、それから27年が経つ。
榎並さんが造ったモノはすべて東京で売られている。釜でコークスが燃え盛る中に細長い鉄を入れて700度くらいまで焼く。真っ赤になった細長い鉄棒の先に鋼を重ねて再び釜の中へ。その鋼が刃の部分である。鉄と鋼の燃える色合いをみる。叩く(打接)のにベストの温度が1100度くらい。
釜から取り出すタイミングは感覚というか、長年の経験によってはかる。その温度が1100度くらいらしい。この温度を間違えるといい包丁はできない、という。取り出してすばやく自動の叩く機械にはさむ。速度や間隔は足で踏むペダルで調整する。見る見るうちに長く伸びていく。そして叩くことによって鉄と鋼の間の不純物が取り除かれ、くっついていく。この一瞬の作業がものの見事に進むのは、長い経験の賜物だろう。

今では、子供たちの授業の一環として見学に訪れたり、実際に包丁を作ったりもする。「堺市にはこんな伝統産業があるんだ」ということだけを学ぶのではなくて、モノづくりの大変さを学んでほしい、と榎並さんはいう。それが、モノを大切にする気持ちへとつながっていくはずだ、と力説する。
効率、コスト、合理性、便利、簡単、というコンセプトで造られるものからには、モノを大切にする心は育めない。これから必要なものは”職人魂”のような気がしてならない。

記事は2012年に取材したもの。








写真の刺身包丁は、1本20万円


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お初天神に、まわして難を転じる「難転石」が・・・。

2017-01-23 14:47:34 | 匠の技
初天神の境内に「お初」と「徳兵衛」のブロンズ像が建つ一画がある。
「露天神社」は、創建され千三百年の歴史をもつ古社で、「天神」の名の通り菅原道真公を祀っているが、他に祭神としている大神がある。それは少彦名大神、大己貴大神、天照皇大神、そして豊受姫大神の大神々。
このうちの大己貴大神(おおなむちのおおかみ)は、出雲大社のご祭神の大国主大神(やおおくにぬしのおおかみ)の別名で、縁結びの神様でもある。
ただ単に、お初と徳兵衛の情死の場所としての所縁があるだけで"縁結び神社"として人気を得ているわけではない。

その一画に、ちょっと不思議な円形の石が流れるように回転している。
「難転石」というものらしい。調べてみると、水の力で回転している。
この石を手で縦横にまわすと、スムースに思うようにまわってくれる。楽しいので何度もしてみた。ただ楽しんだだけで、まわす前にちゃんと知識を得てまわせばよかったと反省。"難を転じてくれるようにお願い"しながらまわすものだ、と。
まぁ、次回参拝させていただいたときは、実践してみよう。






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「露天神社」って、お初天神!?

2017-01-22 13:48:03 | 伝統文化
「露天神社(つゆてんじんしゃ)」といってもピンとくる人は少ない。大阪の方でも、え!、それどこ?っていいそうな神社名である。一方、「お初天神」といえば、大阪人なら常識! とまではいわないが、知名度は抜群だろう。

お初天神といえば「曾根崎心中」である。こういうと、他府県の方も知っているょ、といってくれそう。ご存知のとおり、1703年にこの神社境内で実際におこった、遊女「お初」と醤油屋の使用人「徳兵衛」の情死を題材に、当時の劇作家 近松門左衛門が「曾根崎心中」というタイトルで文楽人形劇化したものである。その「お初」の名をもじり「お初天神」と呼ばれるようになったようだ。

このお初天神は、大阪の梅田地域の東地区にあり、飲食店などが軒を連ねる夜の盛り場のど真ん中にある神社で、曾根崎お初天神通り商店街を抜けたところにある。
かつて2人の男女が永遠の愛を誓ったこの地ということで、男女のカップルや恋への成就を願い訪れる人がひっきりなしという。

この歳で恋の成就を願い参拝したわけではないが、正式名称ではなく「愛称・通称」で呼ばれている名所の独特の空気感に魅かれる。それは、本来の名称由来以外に、通称で呼ばれるストリーがそれぞれにある。そのストリーの方が、興味の矛先になっている。






















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