「いつまで生きられるか」を18歳のときから頭において生きてきた。17歳で大病を患い生死をさまよい、それ以降の人生はいつもこの不安がつきまとっていた、という。
大学、社会人を経て先月無事全ての仕事を終えた。いままでよく生きて来れた不思議を感慨深く語った。
17歳のときの大病で大量の輸血を余儀なくされ、その結果肝炎を患い続け、そのときの手術で腎臓を一つ摘出している。腎臓、肝臓への負担によって、いつ腫瘍ができても不思議ではない、その覚悟はずっと持ち続けてきた。そんな中で銀行員としと支店長、役員の重責も果たしてきた。
しかしながら、50歳を前に、長年の不安が現実に。肝臓に大きなガンが見つかった。もちろん摘出手術をうけ命はつながった。その後、肺に転移し、人生の終わりを再覚悟した。それがいま、まだ生かされている、命の不思議さを実感している。
病気との闘いは、腸結核、ガンだけではなく、山登り等での骨折を2度も経験している。そしていまは骨折での足の痛み、ヘルニア、そして糖尿病とも闘っている。
彼が振り返る中で、目に涙を溜めながらつぶやいた。「長い間、怖かった」と。その怖さを打ち消すために働いた。家族を守ってきた。しかしながら、辛い思いもした。それは心を通わせた友達が先に逝ったこと。
友達の分まで生きなさい、と生かされているようだ、と。ならば命があるかぎり生きてみたいと笑いながら語ってくれた。
もう、いつまで生きられるか、の人生は終わった。
余談ではあるが、この話は、一昨日20数年ぶりに再会した幼なじみとの話である。雲龍院の書院で、この景色を眺めながらの談笑、談涙!