大きな寺院に行くと、日常では見ることのないちょっとした光景が随所で見られる。
個人的な趣向の観点からではあるが、ここ相国寺も貴重な文化財もさることながら、お堂などの構造物、屋根の形状や瓦、そして池や水草、樹木などにも目が奪われる。
また、神仏習合の名残りがあることも含め楽しませてもらう。
長い庇のある神社拝殿
反り上がる屋根
鳥居と鐘楼のコンビネーション
庫裡の屋根から見守る鬼瓦
法堂に覆いかぶさる樹木
空に舞うドローン(屋根の点検)
その他
大きな寺院に行くと、日常では見ることのないちょっとした光景が随所で見られる。
個人的な趣向の観点からではあるが、ここ相国寺も貴重な文化財もさることながら、お堂などの構造物、屋根の形状や瓦、そして池や水草、樹木などにも目が奪われる。
また、神仏習合の名残りがあることも含め楽しませてもらう。
長い庇のある神社拝殿
反り上がる屋根
鳥居と鐘楼のコンビネーション
庫裡の屋根から見守る鬼瓦
法堂に覆いかぶさる樹木
空に舞うドローン(屋根の点検)
その他
魚屋って、威勢がいいね!昔からの魚屋を称える言葉である。
新鮮を売りにしている代表なので、"元気" "威勢よさ" は常套句。
一昨日、仏画曼陀羅アートの明石教室が再開し3ヶ月ぶりに明石へ行ってきた。
お昼時に着いたので腹拵えにと思い、明石の台所「魚の棚(呼称/うおんたな)」へ。
明石はご存知、漁場の港として栄えている町なので、このような生鮮市場(商店街)は
他の商店街とは活気が違う。魚屋が多いこともあり掛け声が響いていた。
明石港の水揚げはご存知、「タコ」「イカナゴ」そして「タイ」などが有名。
タコといえば明石、と言われるくらいで漁獲高も多い。
その明石タコが店頭に並んでいる。どの鮮魚にしても店頭ではまだ動いている。
女性が、"朝に網にかかったもので、さっき港から届いたものばかりだよ" と威勢よくお客さんに声を張っていた。
市場内にもお客さんが戻りつつあるようだ。新鮮で美味い食材だからこそ人は集まる。
これからが勝負よ、という思いが威勢声に込められているようだった。
京都 相国寺の塔頭の一つに「大通院」という寺院がある。
その門柱に読めない漢字の木板看板が掛けられている。
片方の柱の看板には本派専門道場と書かれ、禅寺特有の修行道場だろうと想像はつく。
一方の柱の漢字は難解すぎて読み取れない。
たまたま通りかかったお坊さんに尋ねてみた。
「碧巌録提唱(へきがんろくていしょう)」ということだった。
調べてみると、碧巌録とは中国の仏教書であり、
禅宗の言行や説法などが筆録された文献とあった。
大通院は、これらを専門に学ぶ道場ということになる。
だから門に相見謝絶という看板も目立つように掛けられていた。
来年で、五代目桂文枝に入門して40年になる「桂あやめ」さん。上方落語協会の女性落語家として劇場やメディア等の第一線で活躍されている。もうかなり前になるが、学校公演で、女性ばかりの上方の伝統芸能に携わる演者の方たちの一人として登壇いただいたことがある。それを機会に、あやめさんの落語会に伺うようになった。
そのスタートが、10年近く前になるが、神戸朝日ホールで行われた独演会「あやめ開口三十周年~神戸モダン~」だった。とにかく "笑った、笑った"。久しぶりに笑わせてもらったことを記憶している。その時のことを綴った記事を少し加筆しまとめてみた。
あやめさんは、五代目桂文枝(当時は小文枝)に入門して30年。当時は、女性の落語家は珍しく華やかにデビューしたものの、落語のネタは男が語るように作られている。その筋道や所作も女性が演じるには少々無理があるとして考え付いたのが現代版落語(創作落語)の道である。
創作落語ネタ一筋に歩んできたあやめさんの開口三十周年独演会に、同じ兵庫県出身の兄弟子、桂文珍さんがゲストで登場。また開口一番として、若手期待のホープで、灘中灘高そして京都大学法学部卒業の異色の落語家、桂福丸さんがつとめた。
あやめさんの最初の演題は「京阪神日常事変~神戸スペシャル」という内容のものだった。会場は笑いと拍手の渦。腹を抱えて笑った。
25年前作ったネタで、若い女性3人組のトーク噺。大阪女子、京都女子、そして神戸女子の3人が同じ関西人なのにこんなにも気質がちがうかというのをツッコミあうネタである。今回は、神戸女子目線で面白おかしくリメイクしたものを披ろう。
二番目の演目は、「あやめ版 平家物語」。平家を支えた女性3人が現代に生まれ変わって、その頃のことを思い出しながら面白おかしく喋りまくるネタで、これまた大爆笑。
ともに、あやめさんならでは創作落語である。男の世界で長年生き抜いてきた、その力は鍛錬以外なにものでもない。そして “桂あやめオリジナリティ” を完成させたことが40年という歴史をつくってきた。これからさらに円熟味を魅せてくれるだろうと思う。落語ファンとしては、陰ながら応援していきたいと思っている。
※この記事は2012年10月の「心と体のなごみブログ」に掲載し、それに加筆し転載。
昨日の朝日新聞朝刊に、ひときわ目を奪われた写真があった。
よく見ると、それは「将棋名人戦」。羽生善治名人と行方尚史八段の対局シーンなのであるが、
フォーカスされているのは、中央で鋭い視線をおくり対局をみつめる女性。
記事に目を移すと、「作家・朝吹真理子」寄稿と書かれていた。
2日間、対局に密着し、勝負を見て何を感じたかの想いを綴っていた。
まず写真に目が奪われ、そして文章に心が惹き付けられた。
文章の中で、読み返したところがいくつかあった。
前文後文を省いているので、少しニュアンスが伝わりにくいかも知れないが、拾ってみた。
向かい合う二人の息も重い。「一手さきの未来を考えては壊し、また考える」。
それを二日間繰り返している。「時間は流れるのではなく削りとられるものとして存在する」
書き出しは、対局室の閉塞感の描写で始まっている。
終わりが、また対局室の「床の間に生けられた蕾の鉄砲百合が咲き、青いにおいがしていた。
盤を挟む座布団に、ふたりの体の重みが残っている」と結ばれていた。
読み終えて思ったのが、描写する素材を繊細に感じとり、それを料理しもてなしていただいたような気分になった。
※この記事は2015年5月「心と体のなごみブログ」に掲載したものを加筆し転載
※写真は、2015年5月23日の朝日新聞に掲載された記事を転用