ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

オンリーワン作品を創作

2019-01-30 15:58:02 | 文化想造塾「曼荼羅」
これらの作品をみて、びっくり仰天。
これを描いたのは主婦の方たちで、この講座を始めて数回程度で、この仕上がり。
主婦の趣味作品をはるかに超えたものばかりである。中には70歳代
の方もおられる。友人の男性以外はパワーみなぎる女性集団である。
その方たちの、曼荼羅アートにかける思い、好奇心は私の想像を突き抜けている。

講座だけでは、当然このレベルにはならないが、家でパソコンからの情報を参考に。
それを独自の想像力と創造力でアレンジし描いたオンリーワン作品ばかりである。
















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微笑と、鐘音が心でひびく。

2019-01-27 11:07:03 | 文化想造塾「神社仏閣」
冬のせいか、どんよりした天気のせいか、妙心寺は静寂な雰囲気だった。
境内を歩いていると、目にとまった青銅の仏像。赤松の下で微笑みを浮かべながら立っておられた。
鐘楼の前に立って、目を閉じ耳を澄ますと鐘の音が響いてくるようだった。

















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たかが屋根、されど・・・

2019-01-26 21:19:10 | 文化想造塾「神社仏閣」
家屋の屋根にはさまざまな形状がある。
その中でも社寺の屋根は独特の形があるようだ。その代表的な形として「反り屋根」と「むくり屋根」がある。

写真にあるように、手前の屋根は中腹部が膨らんでいる。奥の方は反り返っている。
反り屋根は屋根の面が反ったもので神社・仏閣などに多く中国大陸から伝わった建築様式で、格式や荘厳さが感じられる。
一方、むくり屋根は屋根の面が膨らんでいるもので、有名な建築物の代表例としては桂離宮がある。
日本独自の建築様式である。丸みのあるむくり屋根は、その美しさから公家の屋敷等に使われたようだ。

では、なぜ屋根の形状を変える必要があるのか。それは建物の特徴や用途にあわせ形状を変え、機能や役割をもたせている。
むくり屋根は軒へ近づくほど勾配が急になり雨水のキレをよくするために。また、反り屋根は軒へ近づくほど勾配が緩くなっている。
雨水のキレが悪くなるが、大きな軒下があることで、雨水や日光から建物本体を守ることができる。これが最大の目的のようだ。

日本古来の建築様式は、数かずの知恵や工夫が施さている。それは厳しい自然の中で、
長年にわたり存在していくための叡智が詰まっている。これらの叡智は専門家だけのものではなく、
日頃の暮らしに反映できる技として伝わればもっと暮らしにおもしろ味が増すような気がするが。

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異なる、京都の老舗感!

2019-01-24 15:05:27 | 文化想造塾「逸品殿堂」
昼食のタイミングをはずし、やっと腹ごしらえできると思って入った食堂、常盤。
京都 寺町御池の寺町商店街の中にある、時代を感じさせるお店。それに惹かれドアを押した。店内も予想以上に古びた感じ。
注文したのが「あじフライ定食」。見てのとおりボリュームたっぷりである。腹ペコとはいえ、私には荷が重いが、
食べてびっくり、美味い!のである。そしてこれで750円。
明治11年開業。140年続く老舗だ。老舗感はないが、これも京都という土地柄にしっかりと根づいて繁栄している。
そしてその後に、お茶の老舗「一保堂」に立ち寄った。常盤食堂とは真逆かも知れないが、京都の老舗の雰囲気が店内外に感じられる店構え。
ともに歴史を感じさせてくれる。
雰囲気やイメージは異なれど、「老舗」として暖簾をしっかりと守り続けている









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心の灯に。

2019-01-21 21:22:42 | 文化想造塾「曼荼羅」
昨日は池田で「仏画アート」講座があった。
昨秋からスタートしたこの講座でいろんな方が参加してくださった。そして続けて通っていただいている。

その方たちのこの講座に向かう姿勢をみて、小生の心が揺さぶられる。
私が思ってスタートした"アート"という概念を超えていることに気づかされた。
それは、日々の苦楽を体験し乗り越え、必死に頑張って生きておられる方たちの気持ち意識が、
この写仏写経の中に強く反映されているからである。

もう一つが、自分を見つめる機会になっているような気がする。ただ単に仏画を描きお経を写すのではなく、
自分のこと、自分の身近な人のことを考えるキッカケになっているようだ。
それは、自分の、また誰かの干支にちなんだ仏画が選択し、さらに写経ではお経の中に、
お経以外の、思いを寄せたい人名や場所名、そして自分の名前など様々な重要な言葉を挟みこむことでお経と一体化していく。
つまり自身の心が、その中に反映できるからだろうと想像する。

仏画の線は波打ち、線は太くなり細くなって、目や鼻、口も思うようにひけない。
"あ、失敗しちゃった"という呟きが聞こえてくるが、仕上がりには、美しさを超えた"心の灯火"のようなものが見えている。
参加していただく方たちの心の支えになる、自分だけの「心経」になっていくようだ。







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